沖縄の護国神社(3)
ニューズウィーク日本版 / 2016年8月15日 6時47分
「護国神社は宗教団体ですか」「まぁ、そういうことでしょうな」「摩文仁の慰霊塔はどうなんですか」「......」「各県こぞって建立している。宗教団体ではないと思いますが」「その点では同感です」「では、同じく英霊を合祀する護国神社も同様ではありませんか」「いや、それとこれとでは...」「私たちは、そうだと思います」「解釈はご自由でしょう」「なぜ政府は、那覇市が護国神社の分担金を出すのを差し止めたのですか」「そんなことはない」「自治法違反だと決めつけたのは、あなた方だと聞いているが...」「自治法違反だと思うがどうか、と市から問い合わせがあったので、そうだと言ったまでです」「それでは、違反しないと思うがどうか、とあらためて文書を出したら、そうだという御返事がいただけますか」
この粘り腰が部長を動かし助役を動かし、とうとう予算案となって市議会に提出。議会では法的解釈で散々に批判されたが、最終的には当初の申請額を上回る額が寄せられた。
教育界からも献金を受けた。同じ一九六三年、沖縄中の小中学校の児童から一セントずつの募金を学校で(!)徴収する「一仙(せんと)募金」が行われた。これは今となってはにわかに信じがたい話である。神社復興事業を法的に進めやすくするため作った組織「沖縄県護国神社復興期成会」の評議員・屋良朝苗(やらちょうびょう)と理事・喜屋武真栄が、それぞれ沖縄教職員会(後の沖縄県教職員組合)会長と事務局長を務めていたために実現したことだ。屋良朝苗は今も沖縄史では革新系政治家のスター的存在として名を刻む。後に沖縄教職員会は「祖国復帰運動」の中心となり、戦後初の主席公選で屋良を当選させた。
一仙募金には沖縄のほぼすべての学校から協力が得られ、教職員有志が募金を寄せた学校もあった。金額としては一ドルに満たない学校から、最高でも三〇ドル程度と少額だが、沖縄の次世代から広く集めること自体に意味があったのだろう。募金を寄せた学校の名が、今も境内の銘板に残る。参拝して目を留め、「そういえば子供の頃、神社にあげようって学校にお金を持っていったよ」と懐かしがる人が時々いる。今、独特の「平和教育」を強力に推進している沖教祖や公立学校からは考えられないような歴史の一ページである。
産業界からの最大の功労者は、復興期成会の会長である具志堅宗精の企業グループ琉鵬会で、社殿建立費三万三〇〇〇ドル、具志堅個人からも一〇〇〇ドル以上の献金があった。境内に住み続けた国場幸太郎からも個人名義で五十万円、関連会社から二万ドル。地元の金融機関からなる琉球金融協会から六〇〇〇ドル、建設会社や金融機関から数百ドルずつをはじめ、多くの会社や個人商店からも広く寄付が集まった。
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