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沖縄の護国神社(4)

ニューズウィーク日本版 / 2016年8月16日 11時10分

 その間、神社はひっそりと慰霊祭をおこなう。神社役員さえ摩文仁へ行き、今や参列者は少ない。摩文仁まで行くのが大儀な高齢者が訪れる程度である。

 もちろん春秋の例大祭にはまだまだ参列者があり、普段から親が入居するホームのような親しさで参拝する人もいる。かつて遺族会青年部を支えた世代が餅つきや豆まきを企画するなど「遺族のための神社」ではあり続けているが、しかし全体の流れとして言えば、沖縄の護国神社は「戦没者の神社」ではなくなってきた︒

 もし参拝者を無作為に抽出して「ここの神様は誰でしょう?」とアンケートをしたら、「祭神など考えたこともなかった」という人が九割近いだろう。実際、話してみたアルバイトの琉球大学生でさえ「やっぱアマテラスっすか?」と答えたほどだ。現在の県民の半数以上を占める四十代以下の世代や移住者にとっては、正直なところ、沖縄戦の記憶も本土復帰の熱も実感に乏しいのである。

靖國・護国神社のゆくえ

 だが、しかし、これは喜ぶべきことだろう。護国神社がいったい何なのか知らないことは、大切な人々を失うやり場のない悲しみや、「日本人でありたい」という切実な願いが、過ぎ去りつつあることを意味する。



 五十年前、沖縄中から支援されて社殿の復興が成った頃、遺族会や護国神社奉賛会は「靖國神社の護持は国家で、護国神社の護持は各都道府県で」をスローガンに掲げた。戦没者を合祀する神社は昔のように国や県で護持すべきだ、神社の経費に政府の補助がないのは嘆かわしい、と。この方針も、いつしか後退した。

 二〇一五年六月、沖縄戦から七十年目の「慰霊の日」、沖縄県護国神社の慰霊祭に来賓として招かれた靖國神社宮司・德川康久は、祭典後の講演会で「靖國神社はもはや国家護持を目指していない」と明言した。松平永芳宮司の頃から続く路線だが、メディアもいる会場での言葉は貴重である。国家護持をすると国家体制が変わるたび神社が翻弄される、神社の目的が戦没者の慰霊と平和の祈念である以上、変わる可能性のある国家に依存すべきではない、というのが理由である。十五代将軍の曾孫の言葉として聞くと、とりわけ説得力がある。

 毎年三月に開かれる全国護国神社宮司会でも、「普通の神社」になることが話題になる。靖國神社のさる幹部が発明したレトリックは、「あらゆる職業だった人が神様になったので、あらゆる人の守り神です。一番身近な神様です」というものだ。今後はどこも遺族会の支援が薄くなるため、全国の護国神社は今、独自の路線を模索している。城に隣接する観光地や桜の名所としてアピールする神社もあれば、新しい祭を始めたり可愛い縁結びのお守りで人気が出たりした神社もある。実際、靖國神社さえ一年で一番忙しいのは桜の季節だそうだ。

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