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沖縄の護国神社(4)

ニューズウィーク日本版 / 2016年8月16日 11時10分

 それでも靖國神社は時として国際政治や歴史認識の論争の的となるが、護国神社はもう少し地域に近い。

 例えば、こんなことがあった。二〇〇八年三月に那覇地裁で提訴された「沖縄靖國訴訟」。沖縄戦の遺族五人が原告団となり、幼児まで準軍属として合祀したことは死者への冒瀆であり追悼の自由を奪われたと主張して、霊璽簿からの削除を求めた裁判である。二〇一一年九月、福岡高裁那覇支部で控訴棄却された後、筆者は被告(靖國神社)側集会を見物し、当時の共同研究者だった韓国人留学生が原告側集会に参加した。そして、「靖國神社でダメなら、次は護国神社を訴えてみては?」と提案してみたという。原告側の面々からは口々に「あなたはよそ者だから、そんなことを考える」と叱られたらしい。

 護国神社がなぜ始まり、どう再建されたか、誰が祀られたか。そんなこと誰も知らないという日がいつか来るだろうか。でも、それでいい。普通の人が日常のささやかな願いを掛けにきて、のんきに初詣や花見を楽しむ世の中になること。それが再建した人々の願いであり、おそらくは祭神たちの願いでもあったと思うからである。

[注]
(4)例えば、義母の実父は東京大空襲で死亡した。義母は一人娘で、母親が再婚したため、実父の墓や仏壇に参る機会はほとんどなかった。「平和の礎」が一九三一年から一九四六年までに戦争に関連して亡くなった沖縄県民の名前すべてを刻印すると決まった時、義母は証明と手続きに奔走し、実父の名前を刻めて「肩の荷が下りた」と喜んだ。護国神社の現宮司にとって実の祖父を偲ぶことができる唯一の場所は皮肉にも「平和の礎」だけである。

[執筆者]
宮武実知子(主婦) Michiko Miyatake
1972年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程(社会学専攻)単位取得退学。日本学術研究会特別研究員(国際日本文化研究センター所属)や非常勤講師などを経て、現在は沖縄県宜野湾市在住。訳書に、ジョージ・L・モッセ『英霊』(柏書房)などがある。現在、新潮社『webでも考える人』で「チャーリーさんのタコスの味―ある沖縄史」を連載中。

※当記事は「アステイオン84」からの転載記事です。






『アステイオン84』
 特集「帝国の崩壊と呪縛」
 公益財団法人サントリー文化財団
 アステイオン編集委員会 編
 CCCメディアハウス



宮武実知子(主婦)※アステイオン84より転載


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