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彼らがあなたであってもよかった世界──ギリシャの難民キャンプにて

ニューズウィーク日本版 / 2016年11月8日 16時20分

 「どこから来ましたか?」

 訛りの濃い英語で彼は言った。

 「日本からです。MSFの者です」

 俺はわかりやすくそう言った。

 あなたは?と聞く前に、ヒゲを鼻の下にたくわえ、白い布の上下を着てサンダルを履いている彼は話し出していた。

 「私はフセインと言います。イラクのバグダッドから来ました」

 歩きながらフセインさんは国のIDカードらしきものを出して俺に見せた。それは別のカードフォルダーに並べて入れられていて、次のページには見開きに2枚、かわいらしい男の子の写真が入っていた。雨にでも打たれたのだろうか、写真は少し褪色していた。

 「これは私の息子たちです」

 「あ、かわいいですね」

 「でも、もういません」

 俺は黙った。

 フセインさんは右手の指で銃らしき形を作り、自分の斜め前を撃つ真似をした。

 「チュク、チュク」

 それが銃弾の発射される音だった。

 彼の目の前で二人の子供は撃たれたのだった。情勢自体は安定していると言われるバグダッドで何が起きたというのだろうか。

 俺は首を振って、同情の意を精いっぱい示した。自分が子供を殺されたらどうだろう。そして国にいられなくなったら。

 「私の妻も......」

 フセインさんは申し訳なさそうに言った。俺にショックを与えたくはないが、しゃべらずにはいられないのだというように。

 そしてまたあの銃の音を出した。

 俺はスマホを取り出し、フセインさんが再び開いて見せるページの、彼の子供たちの写真を撮った。レポートとして使用するつもりはまるでなかった。フセインさんが他人の記憶にもとどめて欲しいと思っている素敵な男の子たちの姿を、俺も忘れるつもりがないという決意を伝えたかったのだった。

 そこにも、あり得べき心の自己免疫疾患が起きたのだった。

 「どなたか他にご家族は?」

 俺はシャッターを切ったあと、わざと軽い調子で聞いてみた。

 するとさっきまで銃の形になっていたフセインさんの右手の指が、ずっと続く金網のフェンスをさした。髪の毛がくしゃくしゃと巻いている小さな子供が、フェンスの向こうにいて金網につかまったままこちらを見上げていた。

 「ハロー」

 と俺はその子に手を振った。

 けれども巻き毛のかわいい子は俺に心を許さなかった。

 父親がきちんと自分を抱き上げるまで、子供がかすかな緊張を続けていることがわかった。 

 俺がその子であってもよかったし、その父親であってもよかった。

 そして、これを読んでいるあなたが銃弾を撃ち込まれる小さな男の子であってもよかったし、あなたのかわりに彼らが命を失った世界もあり得た。


たったひとりの息子を先に行かせ、去ってゆくフセインさんの背中


(つづく)

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう


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