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勉強したい少年──ギリシャの難民キャンプにて

ニューズウィーク日本版 / 2016年11月25日 16時30分

 そういう意味で彼はいまだに、難民だった。ただし、他の自分を助けることの出来る難民だ。その立場と経験において、彼は心の安寧、そして収入を得ているのに違いなかった。



厳しい監視の下で

 ナズィールやティモス、クリスティーナ(前回参照)に別れを告げて俺たちは診療所を離れた。

他団体による必要物資配布

 港の先の方にぶらぶら歩いて行くと、最初に見えた堅牢な建物があった。壁に反体制側からのメッセージがスプレーで書かれていた。ふとそれをスマホで撮影しようとすると、途端に柵の向こうの警備隊の一人に鋭い声を出された。明らかに彼は怒っており、まるで野犬を追うような手振りで向こうへ行くよう命令した。

 建物は政府の管轄下にある施設らしかった。すぐそばでは多国籍の人道団体が難民の方々に医療を提供し、食物や水を配っていた。どこまでが赦しの世界で、どこまでが支配の世界かがわからなかった。

 さらに先まで歩いてみようとする俺たちの後ろから、すぐに大きなバイクが近づいてきた。操縦する男は同じ警備隊にしては制服を着ておらず、ジーンズをはき、趣味で買ったような昔のマッドマックス的なヘルメットをかぶっていた。

 「何してるんだ?」

 男はつっけんどんに聞いた。

 「私たちはMSFです」

 谷口さんが答えた。俺は迷惑にならないよう、黙っていた。すると警察なのか自衛団なのかわからない男は、こちらを見ずに指を背後に向け、

 「バス停はあっちだ。早く行け」

 と言った。

 そしてまたアクセルを強く踏んで去った。

 あたりは自由なようでいて、厳しく監視されているのだった。

 マッドマックスに指示されたバス停に行き、ベンチに座っていると、周囲に中東出身とわかる少年たちの姿が増えた。14、5才だろうか。さらに年下の男の子も現れた。

 彼らはそれぞれ髪の毛をソフトモヒカンにしたり、後ろと横を刈り上げてその上に豊かに波打つ髪を乗せたりし、既製品ではなさそうなブランドスニーカーを履いていた。

 さっき話を聞いたアフシン君がもし彼らの中に交じっていたら、また見え方が変わってくるだろうと思った。

 少年たちはいかにも移民の、回りの目にさらされてタフにならざるを得ない不良の卵だった。それが10人くらいになってバスに乗り、駅の方へ移動しようとしていた。街での軋轢、少なくとも冷たい目が容易に予想された。

 そこに何も知らなそうな観光客がガラガラと大きなトランクを持って現れた。俺たちを含めて、全員がよそ者だった。そして各自がどう外部からそこに関わっているかが違った。それでも一団になって俺たちはバスを待った。

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