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「遺伝」という言葉の誤解を解こう――行動遺伝学者 安藤寿康教授に聞く(その1)

ニューズウィーク日本版 / 2017年2月21日 15時10分



――だとしたら、大学の無償化は無意味ですか?

安藤:僕は大学に限らず、「すべての教育」は無償でなければいけないと考えています。これは経済的な理由ではなく、生物学的な理由からです。

人間が他の動物とは大きく異なる点の1つとして、他者を教育することが挙げられます。チンパンジーも一見すると子どもを教育しているように見えますが、自分勝手な動作をしているだけであり、他者がその動作を学んだかには関心を持っていません。

では、人間はどうして時間や労力といったコストをかけてまで他者を利する教育を施すのでしょうか?

それは、他者を教えることで、自分自身が生きやすくなる、いや進化的には自分と同じ遺伝子を持つものが生き延びやすくなるというメリットを得られるからです。子どもが食物を効率的に取れるようになったり、自分を生かしてくれる文化が維持され発展して豊かに暮らせるようになったりする。僕はそれが教育の生物学的な発祥だと思っているんですよ。他者に教えるというのは、本来、自分のためであり、「自分たち」のためなんです。それは「そうあるべきである」という意味じゃなく、「事実がそうだ」という意味です。

そう考えると----論理が飛躍するように感じるかもしれませんが----大学だけを無償化することはおかしくて、すべての教育は本来無償であるべきでしょう。

――すべての教育、ですか?

安藤:つまり教育というのは、そもそもプライベートイベントではないということです。公共性がある。というかプライベートとパブリックを橋渡しするプロセスを担うのが教育なんです。「私の才能」は私だけのものではなく、人のために育てるもの、誰かの才能は、その人のためだけじゃなく、私のためにも育ってもらわなければならない。

誰かがこれをやってみたいと感じることで、なおかつ他の人もその人にそれをいっしょに、あるいは私の代わりに、やってもらいたいという何らかの恩恵を得られる知識や技能を学習してもらう場としての教育、ということになるでしょうね。

イメージとしては徒弟制に近いかもしれません。例えば、どこかの工房や厨房がやる気のある新人を雇っても、最初のうちその人は使い物にならないじゃないですか。だけど、半年か3年かはわかりませんが、見習い期間の間も、親方はその人に給料を払ったり食住をあてがったりします。絵を描く仕事なら、最初は筆を洗うといった下働きから始めて、仕事の全体像を実践で学んでもらうわけです。こういう時に、授業料はとらないでしょう? そういうコンセンサスが社会に必要だと思います。

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