マニラのスラムの小さな病院で
ニューズウィーク日本版 / 2017年4月7日 18時0分
<「国境なき医師団」(MSF)を取材することになった いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャで現場の声を聞き、今度はマニラを訪れた。そして "女性を守るプロジェクト"を訪ねる>
これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」
前回の記事:「マニラのスラムでコンドームの付け方さえ知らない人へ」
道の上の飢えた子供たち
一度病院に戻ってから、昼食をいつもの屋台で買うことにした。俺は豚の血の煮込み、巨大なナス入りのオムレツ、白い米(計60円)を半透明の薄いビニール袋にそれぞれ入れてもらって、すっかり慣れたスラムの道を歩いた。前にはジェームスとジュニーがやはり各々のランチを手にぶら下げていた。
スラムめし。
向こうからクズ拾いのカゴを背負った少年たちが来た。日本で言えば小学校低学年から高学年の5人組は一団になって歩いていてほほ笑ましかった。
けれど、彼らはジェームスが持った白飯をまじまじ見た。その目を俺は忘れることが出来ない。彼らは飢えているのだった。ぶらつく白飯が彼らにはごちそうなのだ。
むろん後方から少年たちに近づく俺の手にも食べ物があった。出来ればそうしないで欲しいと願ったが、彼らはやはり俺の手の先をまじまじと見た。見れば腹に入るとでも言うように。
寡黙な人と
食事はリカーンと『国境なき医師団(MSF)』が共同経営する例の小さな病院の一階ロビーの奥でとった。スラムで唯一の医療機関の狭い廊下にジェームス、ジュニー、ロセル、俺、谷口さんがひしめきあった。
その後、前回書いた受付の「若い寡黙な女性」に話を聞けることになった。あの旧式の計りで母親たちの体重を記録している黒目がちの人だ。長い髪の彼女は名前をクリスティン・T・タレスと言った。30歳になる既婚女性だった。
もともと2008年からアウトリーチ(地域への医療サービス)の手伝いをしていたクリスティンは3人の子供を持ち、大工である夫との生活をニンニクの皮むきで支えていた。そして5年ほど前のある日、4人目の子供を出産時に亡くしてしまう。それですっかり失意の底に落ちていたところを、リカーンの一員であるアテリーナというエネルギッシュな中年女性が何度も元気づけ、病院で働いたらどうかと連れて来たのだった。
インタビュー中もクリスティンは度々他の何かを言おうとしてかすかに唇を動かし、結局そのまま無言で寂しそうに笑った。そういう人だった。
4人目の子供をトライシクルに乗せて、クリスティンは方々の病院を回った。どこも受け入れてくれなかった。走るトライシクルの中で、彼女はもう子供は作らないと決めた。
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