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子供、子供、子供――マニラのスラムにて

ニューズウィーク日本版 / 2017年4月20日 16時40分

女性たちの何人かが手に持つノートは古びていて、小さな文字がびっしり書き込まれたそれが時には透明なビニール袋にしまわれていたりした。いかに紙が大切か、また家に雨漏りがするかがわかって俺は切ない気持ちになった。

ひとつのセッションが終わると女性たちはがやがやとその場を去った。残るのは近所の子供たちのみになり、中でも小さな女の子たちがロセルと谷口さんを囲んで彼女らが話すのをじっと見ていた。ロセルたちがどんな服を着ているのか、どんなピアスをしているかを憧れるように確かめているのだった。

俺がその模様をメモっていると男の子も女の子も集まってきた。書いている日本語を穴があくほど見つめる女の子がいるので、俺が目をみるとにっこり笑った。そして彼女はまた読めないはずの文字に目を向ける。

その好奇心の強さが戦後の日本人のようだと俺は思った。考えれば子供の多さがそうだった。俺の子供時代、東京の下町にもびっしり子供がいた。子供が泣き、子供が叫び、子供がじっと何かを見ていた。だから大人も寛大だったし、彼らの手本であろうとした。子供は生まれついての興味のまま世界を知ろうとした。

「日本語(ジャパニーズ)だよ」

と言うと女の子が、

「日本語」

とすぐに返してきた。すると俺を囲んでいた子供たちが口々にジャパニーズ、ジャパニーズと言った。ひとつ何かを知って彼らはうれしいのだった。

俺はメモることもないのにメモ帳に文字を書いた。それを見ている子供たちのために。

子供たちは多い、そしてみんなで遊ぶ
.



ふたつめのセッション

ふたつめのセッションはわりとすぐに始まった。いつの間にか椅子には驚くほどの早さで別の地域の女性たちが座っており、やはり知りたさの熱意をこめた目で前を見ていた。中には俺が話を聞いたイメリン・L・セルナさんもいた。

茹でトウモロコシ売りの夫を持つ彼女は隣人からリカーンの噂を聞き、実際にリナの話に耳を傾けることにした。インプラントを入れたが副作用で眠りにくくなり、ピルに切り替えたのだと言っていた。

「とにかく子供を学校に行かせたいんです」

というイメリンさんの言葉がすべてだった。彼女はすでに2人の子供を持っていて、その場にも太った5歳の一人がいた。今以上に子供が増えることは誰かが学校に行けなくなることにつながっていた。だから彼女は絶対に妊娠してはならないのだった。

セッションの近くでジュニーがコンドームの配布を始めた。写真など撮るとすぐに受け取ってくれなくなるのでと注意があったように、トンドの人々は自分らが避妊をすることを知られたくなかった。事実、誰かが小箱をもらうと恥ずかしそうに本人も笑い、周囲も同じように笑った。中にはもらった箱を嗅いでみる青年もいた。ひと箱でも配布すると、ジュニーは誰がもらったかをノートに書きつけた。

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