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強気の北朝鮮 メディアが報じなかった金正恩の秘密演説

ニューズウィーク日本版 / 2017年9月14日 19時24分

<敵どもがやいばを抜けば長剣を振り回し、銃を出せば大砲を出すのが、偉大な首領さま(金日成)と偉大な将軍さま(金正日)が敵どもとの対決で終始一貫して堅持してこられた信念であり、意志であり、度胸です>

続けてこう言うのだ。

<この世界にわが首領さまと将軍さまのように信念と意志が強固で、度胸のある領導者はいません。首領さまと将軍さまは、この世の中で一番の思想理論家、政治家、鋼鉄の霊将であられるだけでなく、信念と意志の第一強者、第一度胸家でいらっしゃった。私は偉大な首領さまと偉大な将軍さまがお持ちになっていた不屈の信念と意志、度胸で敵どもの強硬に超強硬で堂々と立ち向かっています>



つまり、そうした対米決戦を「勝利」へと導くDNAが金王朝3代目である自分にも受け継がれていると言いたいのだ。彼らの言うところの核・ミサイルへとつながる「主体的国防工業」の歴史は、そのまま祖父と父の歩みなのだと持ち上げる。

日本の植民地支配からの解放直後の1945年10月、金日成が平壌に機関銃工場を建設したのが国防工業のルーツだと紹介する。

<首領さまが工場でできた初の機関銃で響かせた銃声は、今日の国と民族の自主権と尊厳を固く守る核爆弾、水素爆弾の巨大な爆音となってこだましています>

実際に金正恩はこの機関銃工場のあった革命史跡に足を運び、水爆実験を示唆したりもした。

「苦難の行軍」乗り越えた自信

金正日もまた砲声の響く抗日パルチザン闘争の戦いの舞台、白頭山の息子として誕生した縁もあって、金日成を補佐していた70年代から国防工業を最先端水準に引き上げる重荷を背負い、その先頭に立って戦っていたという。だが、その戦いには大きな壁が立ちはだかる。94年7月に金日成が急死し、90年代後半から経済が極度に悪化、未曽有の自然災害に見舞われ、大量の餓死者が路上にあふれた「苦難の行軍」と呼ぶ時代である。ここがビッグ・ストーリーのヤマである。ずばり、冒頭に紹介した祝宴での金正恩のあいさつにあった「血の代価で成し遂げた朝鮮人民の偉大な勝利だ」につながっているのだ。

<人民はおなかいっぱい食べることができず、子供たちはあめ玉も思いのまま食べられませんでした。しかし、わが人民たちは腰のベルトを締めてでも、国防工業に資金を回すことに不平の一つもありませんでした。人民たちは党でやるといったことは無条件で正しいと信じ、党に従っていれば必ず生活が良くなる日が来ると信じ、わが党の領導を忠実に支持してきたのです。(現地指導で)ある家を訪ねた将軍さまが釜のふたを開けようとすると、小さな手で釜の中の雑草がゆを覆い隠そうとした幼い子が居ました。たとえ凍え死ぬようなことがあったとしても、将軍さまの懐を離れて他人の家の軒下へは絶対に入るまい(中国などへ脱北しないとの意味)と固く誓い、将軍さまの懐にさらに深く抱かれた人々が居ました。そのような人たちがまさにわが人民でした>

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