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習近平が絶対的権力を手にした必然

ニューズウィーク日本版 / 2017年10月31日 16時0分

習が党総書記への昇格を確実にしたのは07年の第17回党大会で、この時に次期国家主席としての立場も強固なものとなった。前任者の胡錦濤も97年の15回党大会で江沢民の後継者となることがほぼ確定し、その5年後に総書記に就任している。



だが後継指名をしたにもかかわらず、江は権力を自分の手元にとどめておきたいという思いを決して捨てていなかった。05年まで軍の要職にとどまり続け、盟友たちの手を借りて後継者の胡を骨抜きにしようとした。こうして胡の存在感は薄れてしまった。

その胡の弱さが、07年には習の強さとなった。

流れを変えたアラブの春

12年に総書記の座を受け継いだ時点で、習は胡よりも強力で自信に満ちた、カリスマ性のある指導者になると期待されていた。それでも根っからの共産党員ゆえ、党の伝統的なシステムを守り抜くだろうと予想されていた。つまり、17年の党大会では後継者を選び、党の伝統を維持するために次世代の指導部を確立するが、決して独裁者にはならず、集団指導体制の下で一定の制約を受け続けると考えられていた。

当時の共産党内における最も重要なつながりに、イデオロギーはほとんど関係がなかった。重要視されたのは、誰と一緒に出世したか、誰の下で働いたか、誰の面倒を見ているかだった。だから習体制下の政治局には胡や習の、そして江の盟友までもが含まれると予想された。

習政権の最大の難題は、はびこる腐敗だった。腐敗に絡むカネの総額は数十億ドル規模に達していた。

党にとって、腐敗は党に対する国民の信頼と国家の機能を損なうものだった。だが多くの党員は、ほかのみんなが豊かになっているのに、なぜ自分もそうなってはいけないのかと考えた。

ソーシャルメディアを一見すれば、党官僚や地方の役人が国民に仕えず、国民を搾取していることが分かる。

最悪なことに、軍も小さな戦争でも大敗を喫しかねないところまで腐敗していた。基地からヘリコプターが消え、民間会社に売り飛ばされていた。兼業は禁止されているはずなのに、ナイトクラブやコンドーム工場を経営している軍幹部もいる。

国民が官僚の腐敗に不満を募らせるようになったのは、それを話題にできる場があったからでもある。00年代後半には報道もインターネット上の議論もかなりオープンだった。それが自発的なものか当局の意図的な誘導だったかは不明だ。しかし党内の一部には、そうしたオープンさを利用する向きもあった。

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