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「英雄」で「善人」のマケインはなぜ大統領になり損ねたのか──それはアメリカが変わってしまったからだ

ニューズウィーク日本版 / 2018年8月29日 19時48分

マケインは大統領選に2000年と2008年の2度出馬した。初挑戦となった2000年の大統領選ではジョージ・W・ブッシュ元大統領と共和党候補の指名を争い、「マケイン旋風」を引き起こした。自信に満ちた「一匹狼」としての彼のイメージは、世俗的で穏健な有権者の心を捉えた。だが、次第に結びつきを強めていたキリスト教右派と共和党からは疎まれたかもしれない。

2000年の共和党予備選で、マケインは「いつ何を聞かれても率直に答える」をモットーにバスを走らせた。彼が徹底的に攻撃したのが、当時キリスト教右派の象徴的存在だったパット・ロバートソンとジェリー・ファルウェルだった。

キリスト教右派を敵に回す

マケインは、ロバートソンとファルウェルに「不寛容の斡旋人」「帝国の創始者」という汚名を浴びせ、2人は労働者を従属させるために宗教を利用した、と非難。彼らの営利目的の宗教は、「人々の信仰と共和党とアメリカ」に対する侮辱だと言った。

そのメッセージが功を奏し、マケインはニューハンプシャー州の予備選で勝利を収めたが、サウスカロライナ州では敗北し、撤退した。同州の共和党有権者が、敬虔なキリスト教福音派(キリスト教右派)であるブッシュの支持に回ったのが敗因だった。

2度目の大統領選に挑む2008年までに、マケインは白人のキリスト教福音派が持つ影響力の増大を目の当たりにした。聖書の教えを忠実に信じるとされる米国最大の宗教勢力である福音派は、当時すでに有権者の26%を占めていた。マケインは本選で勝つために変節し、彼らに融和的な姿勢を見せるようになった。

マケインは「キリスト教国家」としてのアメリカを守ると表明し、敬虔な福音派で問題発言も多かったアラスカ州知事、サラ・ペイリンを副大統領候補に指名した。有権者層はそれだけ不寛容で、絶対的な価値観に基づく政治へと傾いていた。

マケインがキリスト教右派に歩み寄ったのは、本来プラグマティストである彼が変節し、年齢的にも最後のチャンスとなる大統領選の命運を彼らに託したことを意味した。

マケインの変節

その戦略は、彼らに大統領選での勝利を脅かされた時は自分の信条を捨て去ってもいい、というマケインの姿勢を反映するものだ。彼にしてみれば、2000年の大統領選で偽善的なキリスト教右派を敵に回した手前、道徳的権威を自称する宗教指導者にへつらうのは不本意だったかもしれない。だが、8年前と比べて有権者は変化していた。マケインも進んで彼らの信仰に寄り添う姿勢に転じた。

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