TBS松原耕二が書いた、翁長知事への「別れの言葉」
ニューズウィーク日本版 / 2018年9月6日 18時5分
「私はいびつな人間になってますから」
4年前、知事に当選した日の深夜、翁長氏は私にそう漏らした。祭りのあとの静けさに包まれた選挙対策本部でのことだった。私が当選後の気持ちを尋ねると、翁長氏はさばさばした表情で「感慨もなければ、高揚感もない」と言い切った。3時間ほど前には支持者たちとカチャーシーを踊って喜びを爆発させたではないか、その時ですら冷静だったのかと問うと、彼は肯いて言ったのだ。自分はいびつな人間になっているからと。
それは父と兄が政治家という一家で育ち「子どものころから選挙の熱気も、終わったあとのさびしさも十分すぎるほど味わってきたからだ」と翁長氏は言う。そして「父と兄は選挙で8勝7敗、自分は9連勝だけどね」と付け加え、「翁長家としては17勝7敗か」と笑った。
小学校6年生のときに「那覇市長になる」と宣言して、クラスメイトを驚かせて以来、翁長氏は政治家として生きると定めてきた。その結果「政治っていうものは私のすべてなんです」と言うまでの心境になったのだ。
「政治家としては超プロですよ」
稲嶺恵一元知事は翁長氏を評して言う。
「子どものころから鍛えられて、意識して物事を見て、判断して、しゃべってたんだと。だから口数は多いけど、余計なことは一切言いません」
「本音も?」と私は尋ねた。
「もちろん」
稲嶺氏と翁長氏は同じ門中だ。門中とは同じ祖先を持つ一族のことで、その結びつきは本土よりはるかに強い。しかも稲嶺氏を知事にかついだのも、自民党沖縄県連幹事長時代の翁長氏だった。つまり公私共々、深い関係にある。その稲嶺氏が、翁長氏は余計なことは一切言わないから、本当は何を考えているかわからないと言うのだ。
「小学校のときから政治家を目指していた人は違うんじゃないですか。軸を信念として持っている。それは読み取れないですよ」
「それは近くにいらっしゃっても分からない?」と私は尋ねた。
「わからないです。全然わからない」と稲嶺氏は首を横に振った。
自分は何者なのか。どう自己規定するかで、人の生き方は大きく変わっていく。
稲嶺氏は沖縄県知事を2期つとめたとはいえ、本籍は「経済界」であり、仲井眞弘多前知事も通産省官僚と経済界という流れの先に政治が付け加わった。大田昌秀元知事にも「研究者」という本業があった。しかし翁長氏に帰る場所はない。政治家であるという強烈な自己規定が、彼の人生の軸を形作ってきたのだ。
自民党を離れて
この記事に関連するニュース
ランキング
-
1韓国でLINEユーザーが急増した理由 日本への反発?
ニューズウィーク日本版 / 2024年7月17日 15時55分
-
2血まみれで逃げる患者…「一線超えた」ウクライナの小児病院医師、露のミサイル攻撃を非難
産経ニュース / 2024年7月17日 15時32分
-
3ウクライナ侵略開始後、動員や弾圧避けるためロシアから65万人流出か…露独立系メディア集計
読売新聞 / 2024年7月17日 18時23分
-
4フィリピンで日本人4人拘束 日本から逮捕状 カンボジア拠点の詐欺グループか
TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年7月17日 11時23分
-
5オマーンでシーア派モスク襲撃6人死亡、「イスラム国」が犯行声明
ロイター / 2024年7月17日 9時45分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください
![](/pc/img/mission/mission_close_icon.png)