TBS松原耕二が書いた、翁長知事への「別れの言葉」
ニューズウィーク日本版 / 2018年9月6日 18時5分
ところが「沖縄県知事は県民の父親でなければならない」という心境の翁長氏は、県民の心のひだを無視することはできなかった。保守と革新がそろって反対に回ったのだ。県外移設を願った当時の県民たちの熱い思いに背を向けるという選択肢は、彼の中にはなかったのだ。たとえかつての仲間たちである自民党の国会議員と知事が、次々と政府に屈服するかのように態度を変えたとしても。
「オール沖縄」というDNA
翁長氏が反対の立場を崩さなかったのは、そのほうが県知事になれると思ったからだ。そんな冷ややかな声も、自民党県連サイドから聞こえてくる。翁長氏は「私にお鉢が回ってきたんであれば、すべてを投げ打ってがんばっていこうと思った」と私に語ったが、もし知事になれるという打算があったとしても、それがどうしたというのだろう。県民に寄り添うという信念、「政治家は使い捨てられる」という諦念にも似た思い、そして打算も含めて翁長氏は全身政治家だったのだ。県民の中に飛び込んだ翁長氏には、その場所以外に帰るところはなかったのだ。
しかし、と今思う。翁長氏が辺野古移設を本当に阻止できると信じていたかどうかは、私にはわからない。彼がこう言ったのが耳に残っている。「自分は自民党にいたから、その権力と向き合うことがどれだけ難しいか、一番よくわかっている」と。
知事選の最中に行ったインタビューでも、翁長氏はすでにこんな言葉を発していた。
「オール沖縄というのはDNAとしては必ず残りますから。敵対心でやってきた人たちがね、この選挙を通じてご一緒しましたから。これが必ず、DNAとして残っていって、10年後、20年後の政治家がね、それを受けとめてね。また戦後のぼくらとは違う、ドル時代を知らない人たちが仕切る世代になっていきますので、ぼくら上の世代が残した価値観と融合して新しい沖縄を作っていってほしい」
そして今考えると、遺言ともとれる言葉を残していた。知事選に勝ったとき奥さんは何ておっしゃいましたか、という私の質問に翁長氏はこう答えた。
「大変理解をしてくれていて、それこそぼくが政治をやる中で死んでいっても泣かないじゃないかな。要するに政治をやる中で、何かわかんないですが、身体を悪くしても、お父さん、思い通りにやったね、と言ってくれるんじゃないかと」
「本望だと?」と私が言うと、翁長氏は肯いた。「それくらいすべて政治に打ち込んでまいりました」
ここまで書いて、私は自分が心のなかで翁長氏に告げた別れの言葉、その意味に思い至った。
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