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終戦の歴史に埋もれた2通の降伏文書

ニューズウィーク日本版 / 2018年9月6日 17時0分

調印式を終えると、連合国の代表たちはミズーリ号の地下食堂に下りて祝賀会に入った。艦上では、日本側に降伏文書が手渡された。加瀬外務秘書官が間違いを発見して、調印のやり直しを申し出た。だが、式典責任者のサザーランド参謀長は「もうみな乾杯しているから」と拒絶し、カナダ代表以下4カ国の間違った署名欄の横に、1つずつ自分のイニシャルを書いて訂正確認とし、事を済ませた。日本は4カ所の間違いと4つの訂正イニシャルがある降伏文書を手渡された......。

アメリカ側は、無論「完璧」な出来栄えのほうを手にした。調印式直後にマッカーサーは最初のコピー4枚を作成し、そのうち1枚を感謝を込めてラール大佐へ贈った。ラール大佐の2人の子息が父の遺品と共に大切に保管してきたものだ。



アメリカは降伏文書をワシントンに持ち帰った後、一般公開して勝利宣言し、9月2日を「VJデー」(対日戦勝利の日)と定めて祝日にした。1995年、ビル・クリントン大統領が戦後の日本との友好関係を考慮し、「VJデー」の名称を改めて「太平洋戦争終結日」とし、連邦政府の祝日から除外した。だが、2通の降伏文書はそのまま残った。

もしアメリカが手にした降伏文書に書き損じがあったら、果たしてアメリカは訂正確認のイニシャルだけで済ませただろうか。

それにしても、厳粛な式典で酒に酔って書き間違えたとは、なんとあきれた不謹慎な振る舞いではないか。書き損じの「降伏文書」を受け取らざるを得なかったところに、敗戦国・日本の悲哀を見た思いがする。

2通の異なる「降伏文書」の存在は、第二次大戦の終結を宣言した歴史的な公文書に刻み込まれた、前代未聞の大失態の痕跡であったのである。

(筆者は東京生まれ、慶應義塾大学卒業。ニューヨーク在住。本籍は中国広東省。元慶應義塾大学訪問教授。著書に『中国共産党を作った13人』『日中百年の群像 革命いまだ成らず』『近代中国への旅』など多数)

<本誌2018年9月11日号[最新号]掲載>

【参考記事:元米兵捕虜が教えてくれた、謝罪と許しの意味】

譚璐美(たん・ろみ、作家)


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