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中国の「監視社会化」を考える(3)──市民社会とテクノロジー

ニューズウィーク日本版 / 2019年1月11日 19時0分

では、なぜこれが監視社会を肯定する思想になるのでしょうか。統治思想としての功利主義を再評価する法哲学者の安藤馨さんの言葉を借りれば、それは「功利主義によれば諸個人の自由や自立といったものは統治者が何を為すべきかに於いては本質的に無関係」であり、そのため「そうした方が結局は幸福の総計の最大化に資すると思うならば、諸個人の自由や自立を侵害するような統治や立法をよしとするだろう」からです(安藤2010:74頁)。

安藤さんはまた、監視テクノロジーの進歩により、例えば犯罪や暴力的行為の予防的措置が可能になり、それが人々の身体の拘束の機会をむしろ減らす可能性があることを挙げて、このように指摘しています。「仮に監視技術が発達し、当該の行為に及ぶ前に(中略)それを制止できるようになれば、物理的に刑務所やその他の施設に閉じ込めておくことで事前規制を実行するという方法を採る必要はなくなる。監視による事前規制は彼らの自由を大幅に回復し、厚生の増大に資するに違いない。監視こそがむしろ彼らを自由にする(同89頁)」。



つまり、個人の属性や行動パターンによって反社会的行動を取りそうな人たちに対しては、あらかじめ行動の自由を奪っておくことが、そういった人たちが違法行為を犯して刑務所に入れられる可能性を減らすので、むしろその人たちのためになる、というわけです。

前回の連載でも触れたように、中国ではすでに「信用度の低い」個人や企業(「失信被執行人(信用喪失被執行人)」)のブラックリストが公表され、銀行からの融資や、自動車や不動産の購入、さらには飛行機や鉄道の一等車のチケットが買えないといった行政措置を受ける動きが広がっていますが、その背景には基本的に、このようなある種の功利主義に基づくパターナリスティックな思想があるように思います。中国の「社会信用システム」が持つパターナリスティクな性格については、社会学者の堀内進之介さんが「情報技術と規律権力の交差点──中国の『社会信用システム』を紐解く」という論考で詳しく論じています(堀内、2019)。

心の二重過程理論と道徳的ジレンマ

こういった功利主義の考え方に反発を感じる人も多いと思いますが、もう少し議論を進めてみましょう。ノンフィクションライターの吉川浩満さんは、進化論や認知科学の観点から現代社会を問い直した『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』という著書の中で、このような功利主義を「優れたディストピア小説に似ている」と、人々の感情を逆なでする側面を持ちながらも圧倒的なリアリティを持つ思想だとして紹介しています。そして、現在において功利主義に「追い風が吹いている」ことの背景として、「自己責任」を強調する時代の風潮や、人工知能(AI)関連技術の発展という技術環境の変化にくわえ、「道徳(公共心)の科学的解明」が進んできたこと、を挙げています(吉川、2018)。

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