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韓国の埋もれた歴史「在日同胞留学生スパイ事件」が、いま掘り起こされる

ニューズウィーク日本版 / 2019年1月16日 17時0分

李宗樹さんに限らず拘束された在日韓国人の多くが拷問を受け、有罪判決を受けて矯導所に送り込まれている。満期出所した者、特赦により早期出所が叶った者などさまざまだが、青雲の志をへし折られ、その後の人生が変わってしまったことは共通している。

でっち上げに加担した、在日ヤクザ

在日韓国人政治犯には留学生だけではなく、学者や教授、技術者など社会人もいる。同書によると、1960年代から1980年代半ばまでの間に巻き込まれた在日韓国人の数は、正確な統計はないものの150人余りと推測されるという。1975年に「11.22事件」が起きたのはその3年前の7.4共同声明(韓国と北朝鮮が発表した南北対話に関する宣言)の結果、北から直接派遣されるスパイの数が目に見えて少なくなったことが影響していると、金孝淳氏は言う。



情報機関は日本を経由する「迂回浸透」の可能性に目を付けた。それで在日韓国人留学生のなかにスパイがうようよしているという前提のもと、留学生名簿のなかから的を絞って対象者を作り出しては、「作戦」に入っていった。在日韓国人留学生は、水槽に閉じ込められ吊り上げられるのを待つような存在に過ぎなかった。

そしてでっち上げを支えた人物は、日本側にもいた。金孝淳氏はその一人として、在日韓国人だった梁元錫(ヤン・ウォンソク)・柳川組初代組長の名を挙げている。

1923年に釜山で生まれ1930年に家族とともに日本にやってきた梁元組長は、戦後の混乱期を生き抜くために暴力団に身を置いた。1969年に柳川組を解散してからは日韓対決のプロレス興行などを手掛ける一方で、韓国の政治家との交友を温めていった。

同時に、反共を前提にしたアジアの連帯を目指す「亜細亜民族同盟」という団体を率いた。金大中が逮捕された際は「金大中の左翼及び容共活動経歴」などと書いた怪文書をばらまき、全斗煥については「正義のかたまりや」と評していたそうだ。そして渡韓した際は保安司令部に出入りして、情報交換をしていたという。

 梁元錫とその手下は保安司令部の依頼を受けて「容疑者」となった留学生の家族関係、留学前の日本での大学生活や社会活動、総連系同胞との接触の有無などに関する情報を収集し報告した。時には独自に収集した対共関連容疑の情報を渡すこともあった。こうして提供された情報や資料は、スパイ容疑で裁判にかけられた留学生の有罪を立証する重要な証拠として利用された。

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