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中国の「監視社会化」を考える(4)──市民社会とテクノロジー

ニューズウィーク日本版 / 2019年2月1日 16時0分





インターネット企業は、分野を問わず顧客に関する多くのデータを活用している。たとえば、顧客の好みに合う商品を推奨する、興味を持ちそうな関連商品を提案する、などだ。(中略)競合する企業がデータを持ち合わせていないために同様の提案をできないとすれば、データを所有している企業は支配的な地位を確立し、利幅を引き上げて消費者に不利益をもたらすことが可能になる。となれば、こんな疑問が思い浮かぶ。顧客情報を握っている企業は、それによって他を圧するほどの大きな利益を得るに値するのだろうか。(中略)常識的に考えれば、データ収集が独自のイノベーションや巨額の投資の結果であれば、その企業はデータを保有し活用して利益を得る資格があるといえるだろう。しかし逆に、ほとんどコストをかけずに用意に収集できるデータは、企業が独占すべきではあるまい。むしろその情報は、提供した本人の所有権にすると考えられる(ティロール、2018:449ページ)。

そしてティロールは、いわゆるプラットフォームビジネスによって一般的なものとなった事業者と利用者が相互を評価するシステムについて、利用者による個々の業者に対する評価がUberやトリップアドバイザーのようなプラットフォーム企業に所有されている現状について異議を唱えます。つまり、個々の業者が受けたよい評価は、その業者が個人的な努力によって獲得したものなのだから、その業者が別のプラットフォーム企業に登録する(例えばメルカリに出店していた業者がタオバオにも出店する)際に、個人の「財産」として持ち運べるようなものであるべきだ、というわけです。

ティロールは、こういったプラットフォームの利用者が提供した情報そのものと、その情報の処理や加工は明確に区別されるべきであり、前者は提供した本人にポータビリティ(持ち運ぶこと)を含めた所有権が認められるべきだと主張します。現実的に、アメリカなどでは医療機関で患者が自らのカルテなどの医療情報を所有する権利を認め、患者はその情報を持って自分で医療機関を選択し、情報を共有できるような仕組みが整えられています。こういった主張や社会の動きは、いずれも近代的な排他的財産権の概念を、インターネットを通じて行き来する「個人情報」にまで拡張しようとするものだといえるでしょう。 
 
一方、個人のデータ保護を、財産権にとどまらないより幅広い概念からとらえ、データ社会における新しい人権の在り方を規定したもの、ととらえる動きも、法学者を中心に広がっています。例えば、憲法学者の山本龍彦さんは、AIによる認証技術やデータ蓄積が進んだことによる「セグメント化」が、日本国憲法によって保障されている「個人の尊厳」の原理と真っ向から対立する、と警鐘を鳴らします。AIの性能が高まり、一定のアルゴリズムを用いて個人の行動の「予測可能性」が高まっていったときに、以下のような人権保護の観点から検討すべき問題が生じる懸念があるからです(山本、2018)。

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