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中国の「監視社会化」を考える(4)──市民社会とテクノロジー

ニューズウィーク日本版 / 2019年2月1日 16時0分



結論から先に言うと、こうした儒教的な「天理」による公共性の追求は、アルゴリズムによる人間行動の支配への対抗軸になるというよりは、むしろそれと結びついて一体化する、あるいはそれに倫理的なお墨付きを与える可能性が高い、というのが私の理解です。だからこそ中国は、世界に先駆けてこのような未来社会のイメージに近い社会を実現してしまう可能性があるのではないか、と考えています。
 
例えば、前回の連載でも紹介した、堀内進之助さんの社会信用システムに関する論考(堀内、2018)では、中国政府は社会信用システムの導入を通じて「政府の政策決定への国民参加のチャンネルを広げること」や、「権力の行使に対する社会的監督と制約の強化」を目指すとともに、むしろ伝統的な儒教の道徳的美徳を受け入れることを求めている、という指摘があります。同記事で紹介されているロジャー・クリーマーズの論考も、社会信用システムを中国の伝統的な「徳」による統治に整合的なものだと述べています(Creemers, 2018)。
 
このことをどう考えればよいでしょうか。まず、中国社会における法に対する道徳の優位性についてみておきましょう。連載第1回の第1回で、寺田浩明さんの著作を援用しながら、伝統的な中国社会の法秩序を、西洋的な「ルールとしての法」に対比される「公論としての法」という概念で理解できる、ということを述べました。繰り返しになりますが、「公論としての法」では、個々の案件において個別の事情や社会情勢を考慮した「公平な裁き」を実現していくということが重視されます。そして、そういった「公平な裁き」を実現できるのは教養を積んで人格的にも優れている、つまり一部の「徳」のある人だけだ、と考えられていました。ここに、個人の人格と分かち結びついた「徳」によって社会の秩序を保ち、公共性を実現する、という伝統的中国社会の倫理観のエッセンスを見ることができるでしょう。
 
現在でも、伝統中国における「公論としての法」の名残は社会のさまざまな局面で垣間見られます。しばしば指導者の意向を反映した政治キャンペーンが法律よりも効力を発揮したり、「公正」さを求める民衆の直接行動が法廷への提訴ではなく、上級官庁・中央官庁への陳情(「信訪」「上訪」)という形をとったりすることはその一例です。
 
特にこの「陳情」という現象は本稿のテーマにとっても興味深い事例だといえます。現在中国では、民事・行政を含む様々な案件の解決を求めて、数十万といった規模の「陳情」が生じているといいます。このように「陳情」が多発する背景には、特に地方レベルにおける民衆の司法システムへの拭いがたい不信感があると言えます(毛里=松戸、2012)。

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