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中国の「監視社会化」を考える(4)──市民社会とテクノロジー

ニューズウィーク日本版 / 2019年2月1日 16時0分



たとえば地方の役人の腐敗で地元民が苦しめられている場合、裁判所に訴えても裁判官が役人と結託しているのであれば、まともな裁判は期待できません。そのためより「公」に近い上級の政府、究極には北京まで陳情を繰り返す庶民が後を絶たないわけです。
 
このような「陳情」による個人の権利救済への期待は、立憲主義に立つ中国の法学者のあいだでは否定的に受け止められているようです。それは、三権分立に基づく司法権の独立を揺るがしかねないものだからです(石塚、2012)。そこで、もし「陳情」行為として表れている庶民の不満や地方役人への告発が、インターネットという簡便な方法で表明され、中央の権力者にも可視化されるようになったとしたらどうでしょうか。もちろんその場合でも、共産党の指導部がそのような「可視化された人民の意志」を、「本来の人民の意志」とは無縁のものとして一方的に無視する、あるいは「五毛」と呼ばれるネット工作員をつかってコントロールしようとし続ける可能性もあるでしょう。しかし、指導部がより賢明であれば、むしろ「可視化された人民の意志」を根拠に、地方の腐敗を正したり、反対者を抑えたりすることによって、より望ましい改革を実施しようとするのではないでしょうか。
 
こういった、「高い徳を備えた統治者」が直接民衆(市民)の声を吸い取り、その意思を反映した(と称する)政治を行う反面、言論の自由や人権を求める運動は厳しく弾圧される、という状況は、ちょうど図2に示されたような、市民の「欲望」を吸い上げたアルゴリズムによる統治が肥大化し、それを「法」によって縛るはずの市民的公共性がやせ細っていく、という構図と非常に似通っていると言えるでしょう。先ほど、儒教的な道徳システムはアルゴリズム的な公共性を制限するものとはならず、むしろそれを強化する方向に働く、と述べたのは、この意味においてです。
 
先ほど取り上げたGDPRとの関連で言えば、中国でも2017年6月から「インターネット安全法(網絡安全法)」が施行されました。インターネット安全法は、IT企業に対して個人情報の保護を定める点ではGDPRと同じ性格を持ちますが、データの海外持ち出しや海外企業による使用を厳しく規制する反面、企業に対し国の安全及び犯罪捜査の活動のために、技術的サポート及び協力を義務づけるなど、「企業のデータ収集活動に対する国家介入の正当化」という性格が強い、という指摘がなされています。

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