環境が「人権」をもち、破壊を逃れるために人間を訴える時代がやってきた
ニューズウィーク日本版 / 2019年3月18日 18時52分
また、訴訟を起こす権利は可能な限り広範に、つまりすべての人に認められた。エクアドルでは特定の土地との関係のいかんを問わず、誰でも自然を守るために訴訟を起こすことができるのだ。
この規定に基づいた裁判の最初の成功例が、2011年のビルカバンバ川の裁判だ。道路建設計画が実行に移されれば大量の岩などの掘削物が川に投棄されるとして、流域に不動産を持つアメリカ人夫婦が川になりかわってロハ県を訴えたのだ。
もっともエクアドルでもボリビアでも、こうした法の規定が必ずしも結果を出しているとは言えない。エクアドルであれば石油、ボリビアでは鉱物資源を求め、採掘型の産業が先住民族の住む地域への進出を続けている。
エクアドルでは市民団体が自然の権利行使を推進しようと努めている。理由の1つは、彼らが問題視している環境破壊に直結する企業活動に、エクアドル経済が依存しているからだ。
その点、優等生なのがニュージーランドだろう。同国では2017年3月に、自然に権利を付与する法律が初めて制定された。
人格をもつ権利が認められたのは広い意味の自然ではなく、同国北部を流れるワンガヌイ川だ。これによりワンガヌイ川は、訴訟の当事者となる権利をもつこととなった。
ニュージーランドの法律ではまた、川の代理人になるための要件も定められた。川の権利のために戦ってきた先住民社会の代表からなる委員会と、英女王(ニュージーランドは英連邦に加盟している)の代理人だ。
このアプローチは、自然の権利に関する当初の理論により近い。また、自然を守るために裁判を起こすことができるのは誰かを特定し、積極的権利を与えていない点でエクアドルやボリビアの立場とは大きく異なる。
先住民はいつまで自然の味方か
例えばもしワンガヌイ川が一定の形で流れる権利を持つとしたら、どんな形であれ流れを変えることは権利の侵害に当たるだろう。だがニュージーランドではこうした種類の権利は認められていない。川は単に自らの権利のために訴訟を起こすことだけが認められ、現状回復などの権利の具体的内容は法的な代理人たちが決めることになる。
つまり理論的には、川が将来、長期的な生存のために必要だとして(例えば気候変動への適応のためとか)流れを変える権利を主張することもあり得るわけだ。
エクアドルでもボリビアでもニュージーランドでも、自然の権利をめぐる戦いで先住民社会は重要な役割を果たしている。このことから先住民は今後も自然の擁護者であり続けるのは自明だと考える人も多い。
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