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アポロ計画50年 「月に挑んだ男たち」が語る人類最大の冒険

ニューズウィーク日本版 / 2019年7月18日 19時2分

マイケル・コリンズ 彼(ケネディ大統領)の指示は非常に明快だった。60年代の終わりまでに月に人間を着陸させ、安全に地球に帰還させよというのだ。つまり、やらなければならないことと、それをいつやらなければならないかははっきりしていた。私たちに託された課題は、それを「どうやるか」だった。

私たちは10年間、このテーマに必死に取り組んだ。どうやって60年代末までに人類初の月面着陸を実現させるか。ケネディが言ったとおりに。

チャーリー・デューク ケネディの言葉を聞いて、私は頭を振った。「無理に決まってる。アラン・シェパードが(アメリカ初の有人宇宙)飛行でやっと宇宙空間に15分滞在できたところなのに、月に宇宙飛行士を送ろうって言うのか? ずいぶん大胆な発言だ」

私は懐疑的だった。だが国中が力を貸してくれた。翌年、私はマサチューセッツ工科大学(MIT)に通い始めたが、MITでは既にアポロの誘導航行システムの構築が始まっていた。私もそれに携わった。仕事の中で何人かの宇宙飛行士と会ったが、あれほど情熱的で前向きに「自分たちはやり遂げられる」と考えている人たちは初めてだった。その高揚した気持ちに、私も影響された。「大丈夫、私たちはやれる。成功させてみせる」とね。

ラッセル・シュウェイカート 非常に緊張感漂う時代だったが、私たちはケネディの設定した目標を達成することだけに目を向けていた。ある意味では皆が心を一つに努力していた。国で、そして世界で何が起ころうとしているのか、気付いていなかったわけではない。ケネディの掲げた目標はとても個人的なものになっていた。あくまでも私の見方だが。そうはいっても、1つの目標をみんなで共有していたのも間違いないと思う。





Illustration by Alex Fine

ソ連との競争の裏に国を超えた連帯感

ラッセル・シュウェイカート (月面着陸計画は)ソ連との競争という部分もあったが、私にとっては何より、人類の運命として間違いなく正しいことだった。人類が月に行かなければならないのは明白で、非常に論理的な一歩だった。実のところ私たち(少なくとも私たちのうち数人)は、ソ連が何らかの成果を上げたとしても喝采を送っただろう。上層部や管理職が多少なりともリスクを恐れなくなるきっかけになったはずだからだ。私たちは国の計画として月に行ったが、火星やその先に行くときは地球という惑星の代表になるだろうと、私はよく言っている。

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