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民主主義が嫌悪と恐怖に脅かされる現代を、哲学で乗り越えよ

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月1日 20時2分

私が手本とするのはマーチン・ルーサー・キングだ。民衆の感情の導き手としての彼の課題は、一般的な民衆ばかりでなく、自身の運動の内部でいかに感情を形作るかというものだった。怒りには、恐ろしい過ちに対して、同じことは二度と許さないと抗議する側面があると、彼は言っている。だがそこには報復の側面、自分を傷つけた相手を傷つけようとする意図もある。



怒りの純化を説いたマーチン・ルーサー・キング REG LANCASTERーDAILY EXPRESSーHULTON ARCHIVE/GETTY IMAGES


だから、彼は「運動に怒りを持ち込む人々がいたらどうするか」と問い掛けた。怒りを純化し別の感情に導く必要があると語った。希望や、正義は可能であるという信念、そして何よりも愛へと。アメリカが最も危険で困難な政治状況にあった時代に、彼は素晴らしいやり方で民衆の感情を形作った。

――あなたは民主主義が機能していると信じることの重要性を指摘している。

絶対君主制の君主は、人々にひたすら従属と服従を求める。そんな状況の下では、君主の意思と行動に依存するのも悪くないかもしれない。しかし、依存と信頼は違う。

信頼とはもっと大きな何か、あえて自分をさらけ出し、自分の夢と未来を誰かの手に委ねることを意味する。



民主主義とは、自分の希望と未来が見知らぬ人々の手の中にあることを前提としている。悪しき決定が下されることもあり、自分の意見が常に通るとは限らないが、結果は甘んじて受け入れる──ここに信頼がある。そのためには、反対側の人々への敬意が欠かせない。たとえ彼らは間違っていると思う場合でも。

しかし、信頼は敬意以上のものだ。信頼には、自分が脆弱な立場になるのを許容することも含まれる──例えば意に沿わない選挙結果を受け入れるというような。政治プロセスに対する一定の心構えを持つことは極めて難しい。そのプロセスへのトランプの攻撃に、私はとても心を痛めている。

トランプのメディア攻撃についても同様だ。私たちはニュース、少なくとも多くのニュースは真実だと信じる必要がある。政治プロセスが機能するためには、その前提が必要なのだ。

――希望は恐怖の「解毒剤」だという著書の指摘は、どういう意味か。

希望は通常、恐怖の対極にあると見なされる。ある意味では正しい。だが、哲学の伝統に従えば、この2つはとてもよく似ている。どちらも極めて不確実な結果が、自分にとって有意義で重要なものと見なすことを求めている。私と同じように、他者や祖国、自分でコントロールできないものを愛することが重要だと考える人間なら、恐怖と希望の両方を心に持つことになる。

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