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ウーマン村本×パックン「カウンターパンチは全部ありだと思う」

ニューズウィーク日本版 / 2019年8月7日 17時10分

パックン 僕はちょっと意見が違う。僕らはアーティストで、伝える側として責任はしっかり持たないといけない。その上で、なるべく社会に対する疑問をぶつけていいと思う。それが日本では見られないのは残念。疑問をぶつけてるのは村本さんと厚切りジェイソンくらい。あれは疑問ばっかりなんだけど!

でも答えを出すときは、正しいと思う方向に導く責任がある。その答えが正しくないと社会が思うならその反論にも耳を傾けて、自分のネタを変えなきゃいけないときはある。僕は田舎育ちで、黒人やユダヤ教に対する差別的なジョークを聞いて育った。でも大学でユダヤ教徒の友達ができて、彼らが世界でどれほど差別を受けてきたのか、その歴史を知ったから、そういうジョークは2度と口にしない。一部の人が笑うとしても、言わない責任はある。

ちなみにフランスでは、「できる」ことが前提で、本人がやっていいと判断したらやっていいというが。日本はできないのが前提で、やっていい? と許可を取らないとできないことが多い。



「難しいのは、トレバー・ノアが原爆をいじっているネタ」

村本 確かにテレビの番組で原発のネタをやろうとしたときに、政治部がぴりつくからやめてください、と言われた。

パックン バラエティでしょ?

村本 バラエティだけど、政治部のほうが力が強くて。記者が官邸から「なんてネタをさせているんだ」と言われるから。

パックン 集団責任になっちゃうんですね。

村本 さっきの話に戻ると......(どんなネタが許されるかについて)僕はカウンターパンチは全部ありだと思うんですよね。それってアメリカのお笑いの強いところで、例えば黒人は白人社会に対してカウンターパンチを放つじゃないですか。女性コメディアンは男性社会に対してのカウンターパンチ、トランスジェンダーの芸人は不寛容な社会へのカウンターパンチ、白人なんかは強い政治に対してのカウンターパンチ。ずっと殴られ続けてきた人間はパンチをどんどん繰り出すべきだと思う。

パックン それは当然ありです。

村本 ただ難しいのは、トレバー・ノアがヒロシマ、ナガサキの原爆をいじっているのを見て、僕は許せるんですよね。彼らは面白いと思って言っていて、それは本気に取るものじゃないというのが僕の基準。僕は怒らない。

パックン この点、僕らは共通している。弱者が強者や体制に対して文句を言ったり、コケにしたりするのは風刺です。お笑いです。強者が弱者に対して同じことをすると、いじめになる。原爆のネタについては、日本はもう復興してアメリカも認める強豪国になっているから許されるかもしれない、と思う。

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