中東危機:シリアの沈黙、隠された動機と戦略
ニューズウィーク日本版 / 2023年10月20日 18時25分
これに対して、シリアとイスラエルの関係は終始対立によって彩られてきた。両国は、イスラエルが建国宣言した1947年以来、現在もなお戦争状態にある。
1967年に勃発した第三次中東戦争によって、シリアはゴラン高原を占領された。この戦争では、エジプトがシナイ半島およびガザ地区、ヨルダンが東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区、レバノンがシャブアー農場をイスラエル領に占領された。だが、これらの被占領地のなかで、ゴラン高原だけが1981年にイスラエルに併合された。国際社会はこの併合に長らく異議を唱えているが、米国は2019年、ゴラン高原に対するイスラエルの主権を承認している。
1991年のマドリード中東国際会議の開催をもって開始された中東和平交渉においては、「土地と平和の交換」の原則のもと、パレスチナ解放機構(PLO)とヨルダンがイスラエルとの和平に応じた。また、これに先立って、1979年にエジプトもイスラエルと和平条約を交わした。だが、シリア(そして当時、シリアの実質的な属国だったレバノン)は、すべての占領地からのイスラエルの即時完全撤退を求めて、イスラエルとの和平に応じることはなかった。こうした姿勢ゆえに、シリアは「アラブ人の敵意と拒否の姿勢をもっとも強固かつ深刻なかたちで体現する存在」と目された。
シリアとパレスチナ難民
イスラエル建国に伴う第一次中東戦争、イスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区を手中に収めた第三次中東戦争によって、多くのパレスチナ人が家を追われ、周辺諸国に難民として逃れることを余儀なくされた。シリアは、ヨルダン、レバノンとともに、こうしたパレスチナ人の受入国となった。
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、現在シリアには同機関が管理するパレスチナ難民キャンプが9つあり、そこに57万人以上が登録している。シリアにはこのほかにも、首都ダマスカス南部のヤルムーク地区(ヤルムーク・キャンプ)など、UNRWAの管理下になりパレスチナ人の集住地区(キャンプ)が6ヵ所あり、シリアに「アラブの春」が波及した2011年時点で、65万人あまりのパレスチナ人が暮らしているとされた。
しかし、「アラブの春」に伴って発生したシリア内戦によって、多くのパレスチナ人が戦火に巻き込まれ、その数は減少したとされている。UNRWAの推計によると、2011年以降、パレスチナ人12万人が隣国のレバノンやヨルダンなどに逃れた。また、シリアにとどまったパレスチナ人もそのほとんどが、少なくとも1度は国内での避難を余儀なくされたとされている。
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