【解説】関係修復は遠い夢? ジョー・バイデン&習近平会談の「歴史的価値」とは?
ニューズウィーク日本版 / 2023年11月21日 13時0分
「中国問題の専門家にとっては見慣れた光景だ。アメリカ政府にとって好ましい成果は出ないだろう」と言うのは民主主義防衛財団(FDD)の中国専門家クレイグ・シングルトンだ。「積極的関与と言いながら、2人とも従来の対決姿勢を固持している。関係安定の可能性は、よくてほんの少し、悪くすればゼロだ」
第1次大戦後のベルサイユ条約締結につながる1919年のパリ講和会議に深く関わったイギリスの外交官で政治家のハロルド・ニコルソンの著書には、「世界各国の政治家間で個人的に接触する習慣ほど致命的なものはない」という厳しい総括がある。
そんな評価が一変したのは、第32代大統領フランクリン・ルーズベルトが個人外交を重んじて、連合国間の首脳会議を次々に開いてからだ。米英ソ首脳による43年のテヘラン会談と45年のヤルタ会談などを経て、第2次大戦の勝利戦略、さらには戦後世界の将来図が描かれた。
ただし誰もが賛同したわけではない。ドワイト・アイゼンハワー(第34代)は、「大統領が自ら海外に出向いて交渉するという発想は、つくづく愚かしい」と述べたことがある。これはヤルタ会談やポツダム会談への批判と見なされている。結果としてソ連が東欧に勢力を広げたからだ。
それでも流れは変わった。そもそもアメリカの首脳外交で最初の成果を上げたのは第26代のセオドア・ルーズベルトだ。マラソン外交で日露戦争の終結を仲介したことを評価され、1906年にノーベル平和賞を授与されている。
20世紀の後半には、ジミー・カーター(第39代)が78年にイスラエルとエジプトの間を取り持ち、キャンプデービッド和平協定をまとめた。ロナルド・レーガン(第40代)は86年にアイスランドのレイキャビクでソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフと会い、米ソ両国の核兵器全廃という包括合意の一歩手前まで行った。運命的な会談となり、冷戦史に残る最大級の「もしもあの時......」事例とされる。
21世紀に入ると、2013年にはバラク・オバマ(第44代)と習がカリフォルニアで「シャツの袖まくり」会談をやり、15年には習が国賓として訪米した。オバマ時代の両国関係は順調だった。
不利な要素が多い賭け
だが成功例だけではない。1961年のジョン・F・ケネディ(第35代)とソ連首相ニキータ・フルシチョフの会談は、米ソ関係に新たな友好の時代を築くことを意図していたが、両首脳が個人的に衝突したことで裏目に出た。
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