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ブラジルのダンスシーンで大注目、日本文化が独自進化した「マツリダンス」とは? 一晩で1万2000人が一斉に踊った

ニューズウィーク日本版 / 2023年12月13日 11時10分

マツリダンス創作の経緯は次のようなものである。ブラジル日本移民80周年であった1988年、当時カラオケ教室を開いていたミチコさんは、日本の歌を日本のメロディーに合わせて歌うことに今一つ物足りなさを感じていた。

この年は、ブラジル各地で80周年の祝賀イベントが企画されていた。もちろん日系人の多いロンドリーナでもイベントが企画されていたが、当時は日本人会の役員のほとんどが一世。彼らの主導権のもとに企画が進められ、ミチコさんのような若い世代の意見はなかなか取り上げてもらえなかった。

「一世は、あんたたちの日本語はおかしいとか、もっと日本人としてのプライドを持ちなさいとか言うけれど、私たちはブラジル生まれのブラジル人なんだから......おじいちゃんやおばあちゃんのやり方があっていい。でも、私たちのやり方もあっていいはず。「日本文化」って一つじゃないはずだもの」と日本文化の多様性を強調する。

とにかく、ミチコさんたちは、祖父母や父母の世代とは別の方法で、80周年イベントを企画したかったという。そういう発想から、彼女が指導していたカラオケ教室の若者たちを中心に結成されたのがグルーポ・サンセイだった。

このグループは、1994年に「文化・福祉協会グルーポ・サンセイ」(Grupo Sansey-Cultural e Beneficente)として法人化。2003年には、はじめてロンドリーナ祭りを開催し、これを成功に導いた(図2:トップページ写真、図3)。

図3 ロンドリーナ祭り2023のフライヤー

一晩で1万2000人が一斉にマツリダンスを踊ったこの時の感動は忘れられないと、創立者の一人クラウジオ古川氏は回想する。

「日本人(ジャポネース)というアイデンティティはあるけれど、一世とは違う主張をしたかった」というミチコさん。また、「このマツリをやることで自分たち日系人が日本文化を継承し、祖父母たちが植えてくれた種がちゃんと育っているということを伝えたい。そして、私たちの日本文化を非日系のブラジル人たちにも紹介し、新しいブラジル文化を創造していきたい」と語る。

グルーポ・サンセイは新しい世代を意味する「三世」と肯定を意味する「賛成」をひっかけた言葉だという。

現在、マツリダンスは、北はアマゾナス州から南は隣国パラグアイとの国境カスカベルまで各地のマツリで踊られているという。日本人が移植した「日本文化」は、ブラジル社会にあって「日系文化」として認知されつつある。

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