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目標だった「福田ドクトリン」は今や現実に 日本とASEAN50年の歩みと、これからの協力関係

ニューズウィーク日本版 / 2023年12月15日 16時0分

東京のJICA本部にもASEAN各国の政府関係者や民間セクターの方々が頻繁に訪れますが、皆さん迫力ある面持ちで、自信に満ち溢れています。経済的な発展や生活水準の向上だけでなく、人々の心持ちまで変わってきたように感じます。

前回のASEAN首脳会議の開催地となったインドネシア・ジャカルタの街並み Creativa Images-Shutterstock

──ASEANとの友好が始まったのは1973年。日本が生産量を大幅に増やした安価な合成ゴムとASEAN諸国の天然ゴムが市場で競合し、合成ゴムの輸出問題をめぐる対話が始まったことが発端でした。以来、日本とASEAN地域は50年にわたってどのような関係を築いてきたのでしょうか。

早川 日・ASEAN合成ゴムフォーラムに続いて、日本の東南アジア外交の指針となる「福田ドクトリン」の発表は非常に大きい意味があったと思います。また、日ASEAN首脳会議および外相会議の初開催、1980年代からは国づくりの土台となる人づくりへの協力などを通じて、ASEAN地域との友好協力を深めていきました。

ASEAN諸国の成長過程において、日本がより豊かな時代もありましたが、もともと両者は互いに文字通り大事な隣人であり、友人であり、幼馴染のような、切っても切れない存在です。インド太平洋地域の安全保障という外交上の観点や、「チャイナ+1(中国以外への分散投資)」といった脱中国の文脈で東南アジアを重視する見方もありますが、たとえそうしたファクターがなくても、相互に補完し合い、共に発展を目指すという日本とASEAN地域の関係性は決して変わらないと思います。そしてこの地域の中でASEANという枠組が果たした役割は極めて大きいものです。もしASEANが設立されていなかったら、地域の政治経済の安定や成長は大きく異なるものになっていたでしょう。

ASEAN諸国の成長を信じ、共に歩んだJICAの協力

──この50年間にJICAとしては、どのような協力を行ってきたのでしょうか。

早川 JICAでは、東南アジア地域において、70年代から道路、空港、鉄道をはじめ、ダムや発電所、灌がいや上下水道の整備など、経済や生活を支えるインフラ開発を支援してきました。それらは改修を経て今でも人々の暮らしや生産活動の基盤になっています。これらの分野では単なる資金提供だけでなく、そもそもの計画づくりから協力し、また必要な技術移転を積極的に行ってきました。さらに基礎教育や産業人材の育成、法制度整備、平和構築や保健医療などあらゆる分野で協力を展開してきたと言えます。近年では新型コロナ感染症の支援と、幅広い分野でASEANの地域ニーズにこたえる協力を続けています。

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