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【密着取材】「これだけの成果のためにどれだけ犠牲が...」 ウクライナ「反転攻勢」が失敗した舞台裏

ニューズウィーク日本版 / 2024年2月1日 19時14分

マキシムは右肘を負傷しドイツで手術を受けた(同11月) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

膨れ上がる戦費を賄っていけるのかも大きな課題だ。兵士の月給について教えてくれたのはドネツク州リマンの部隊に所属するオレクシー(36)だ。「ウクライナ軍は戦闘地と非戦闘地で給与に差をつけている。私のように前線で戦う兵士は、月に10万フリブニャ(約40万円)。南東部以外で任務に就いている兵士はその3分の1ほどだ」

オデッサのショッピングモールでマネジャーをしていたときの月給は3万フリブニャ(12万円)だったというオレクシー。国家統計局によると、昨年第3四半期の平均月収は1万7937フリブニャ(約7万円)だ。

月10万フリブニャについて、「命を懸けた仕事にしては安い」と、どの兵士も口をそろえる。しかし、国家破綻の危機にあえいできたウクライナにとって、平均月収の5倍以上に相当する給与を前線の兵士に払い続けるのは容易でない。ときどき耳にする給与の遅配が拡大すれば、厭戦ムードは一気に高まるだろう。

弓形に伸びる1000キロに及ぶ前線で、最大の激戦地がドネツク州にある。18世紀、最初に入植したアウディイの名が由来の街、アウディーイウカだ。昨年10月、ウクライナ軍の反転攻勢が失速したのを機に、ロシア軍はここに猛攻撃を仕掛けた。

アウディーイウカが包囲寸前の危機に陥ったとき、呼び寄せられたのがザポリッジャ攻撃軸を主導していた第47独立機械化旅団だった。破壊を免れたレオパルト2のほとんどもここに移動させられた。

その後、同じく配置転換を求められたのが、開戦後に軍都となったオリヒウの野戦病院で医療補助をしていたユーリ・イワノビッチ(48)たち人道支援のメンバーだった。

アウディーイウカの野戦病院。帽子姿がユーリ(23年12月) COURTESY OF YURIY IVANOVYCH

ボランティアがバフムート北部の兵士を慰問し、肉を焼いて振る舞った(同10月) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

勝利は1年後? 4年後?

12月17日、ユーリが初めて訪れたアウディーイウカの野戦病院は負傷兵でいっぱいだった。手術室のベッドは5台。ブルーシートが足りなかったのか、壁の一部は黒いビニールで覆われている。痛みに耐えかねた兵士が、「ウーッ」という声を出す。心拍計のアラーム音が響く。11人の医師とボランティアは、それぞれの手術台で治療に集中している。

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