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「海外在住・日本人作曲家」の起源...故国を離れて初めて日本を「見出した」音楽とは?

ニューズウィーク日本版 / 2024年2月28日 11時10分

故国を離れたのちに初めて日本を「見出した」という意味で、彼らは共通している。こうした現象はなにも日本人作曲家に限らず、またこと音楽に限りもしない。

異国の環境に置かれて初めてルーツに目覚めるということは往々にしてあることだ。その意味で、彼らは典型でもあり、またそれは国外で活動する日本人作曲家のあり方のひとつの「モデル」を形作っている。

丹波明はパリの地で『能音楽の構造』という博士論文を書いて博士号を取っているが、「序・破・急」の時間構造と、それを採り入れた能楽の構造を、西洋音楽の時間構造のなかに組み込むことによって、東西どちらにも与さない独特の作品を創り上げているし、平はもう少し抽象的ながら、日本的な「間」の感性に惹かれつつ、それを響きの余韻や音色の趣味のなかに採り入れていった。

パリのメシアンのクラスにおいても、ケルンにおける電子音楽の創作においても卓越した才能を披瀝していた、まさにヨーロッパ前衛の一旗手とも言える篠原も、1972年の作品《たゆたい》から「和と洋の音楽的融合」という課題を自らに課すことになった。

ハンブルク大学で位相幾何学(トポロジー)を講じる教授職にあった松下も、哲学や物理学にまたがった難解な時間論を書きながら、立正佼成会の委嘱で、ライフワークとも言える巨大なカンタータ作品《仏陀》を書き続けた。

こうした「日本回帰」ないし「日本への視線」は、アイデンティティについての自己認識から来る場合がほとんどだろうが、そのアイデンティティの確立自体が、周囲の環境に制されながら発することもまた自明のことだ。

日本のなかにいるだけならば気がつかない、あるいは気がつく必要もないものに、外界に出ることによって否応なく気づいてしまう。自と他の異が顕著ななかで、なんらかのオリジナリティを求められて、自分本来のものを見つめ直す契機から、日本回帰は生じる。それはときに「強制」と感じられることもあるだろう。

例えば、周囲が彼・彼女に求めるもの、周囲が自己と異なったものとして他者としての「私」に求めるもの、それは区別でも差別でもあり得るが、自己にはないものを他者に求めるというのは、あるいみ自然の成り行きであろうから、そうした環境のなかで日本について考えざるを得なくなる状況というのは当然生じてくる。

他者は(教師も作曲家も聴衆も)、日本人に自分と同じものを求めていないのである。

長木誠司(Seiji Choki)
1958年生まれ。東京大学文学部卒業後、東京藝術大学大学院博士課程修了。博士(音楽学)。東邦音楽大学・同短期大学助教授、東京大学大学院総合文化研究科教授等を歴任。オペラおよび近現代の音楽を多方面より研究。著書に『前衛音楽の漂流者たち』(筑摩書房)、『フェッルッチョ・ブゾーニ』(みすず書房、吉田秀和賞)、『オペラの20世紀』(平凡社、芸術選奨評論等部門受賞)など多数。紫綬褒章受章。

『アステイオン』99号
 特集:境界を往還する芸術家たち
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]

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