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社会に必要なのは「ステレオタイプを克服すること」...妊娠後にHIV感染が判明した、私の経験と挑戦とは

ニューズウィーク日本版 / 2024年3月2日 9時20分

ボストン交響楽団の100周年記念コンサートを終えス テージを去るパールマン(下)と小澤(1981年10月)TED DULLYーTHE BOSTON GLOBE/GETTY IMAGES

<「HIVと共に生きるのは恥ずべきことではない」...偏見とスティグマを社会で乗り越えたい>

2020年9月に結婚したとき、私たち夫婦が覚悟していた最大の障害は新型コロナウイルスだった。全く別のウイルスが私たちの人生にこれほど影響を及ぼすことになるとは、考えもしなかった。

結婚から1年後、私は妊娠9週目で初めての超音波検査を受けに行き、私の世界は震撼した。HIV検査で陽性だったと告げられたのだ。

夫は私の手を握り、一緒に受け止めていると安心させてくれた。私も赤ちゃんも死ぬのだろう。そのときの私はそれしか考えられなかった。

幸い、血液中のHIVの量は少なく、抗レトロウイルス薬で十分に管理できると言われた。投薬治療は私の健康を保つだけでなく、胎児への感染を防いでくれるだろうと説明された。

3週間後に投薬が始まり、さらに3週間後に再び血液検査を受けた。私のウイルス量は「検出限界以下」になっていた。つまり、夫やおなかの子供に感染させる可能性は極めて低いということだ。

治療が前進していることは私に希望を与えた。しかし、次のステップは、HIV感染に関するステレオタイプを克服することだった。

1980年代から90年代にかけて、HIVに感染するのは主にセックスワーカーや、男性とセックスをする男性だという誤解があった。私はそのどちらでもない。

医療チームと話し合うなかで、いつ、誰から感染した可能性が高いのかが分かった。昔のボーイフレンドだ。彼とはコンドームを使わずにセックスをした。

後ろめたいことは何もない。でも、夫にうつしたかもしれないと不安だった。陽性を告げられた翌週、私たちは家に閉じ籠もり、夫の血液検査の結果を待った。夫が陰性だと分かって心から安堵した。

健康な子供を出産できる

正直なところ、スティグマ(汚名)と恐怖と羞恥心を克服するのは大変な道のりだった。しかし、新たに得た希望と、陽性の診断は死の宣告ではなく普通の充実した人生を送れるのだという理解を武器に、HIVに私の存在を定義させたりしないと心に決めた。

HIV感染を、ぜんそくや糖尿病など他の病気と同じように考えてはいけないのだろうか。感染する可能性は誰にでもある。

妻として、母として、私はHIVに対する文化的な思い込みに逆らい、他の感染者に独りではないと伝えることを自分の使命にした。

この思いが、ヴィーブヘルスケア社の「HIV・イン・ビュー」キャンペーンでの活動につながった。これはHIVに関する認識を高め、スティグマに対処しようという取り組みで、私を含む5人のパートナーが自分の経験を共有し、啓蒙や情報提供に協力している。

私たち5人が出身国もバックグラウンドも異なるという事実は、今の時代にHIVと共に生きることについて、真の多様な姿を描いている。

HIVと共に生きる女性や妊婦に、孤独ではないことを、そしてHIVに感染していない健康な子供を出産して普通の生活を送れることを知ってもらいたい。

私は自分のスティグマと戦いながら、ほかの感染者とパートナーが最高の人生を送り続けられるように、予防と治療の選択肢について啓蒙活動を行っている。

私の息子はHIV検査で陰性だ。夫も陰性だ。私たち家族は元気だ。

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