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【MLB】「救命活動は行いません」と告げられ… 大谷翔平の〝元女房〟マックス・スタッシと息子の物語

東スポWEB / 2024年4月1日 11時35分

エンゼルス時代のスタッシ(左)と大谷(ロイター=USA TODAY Sports)

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】

「息子さんが永眠される際、痛みを和らげるため、舌にモルヒネを1滴垂らします」

「お子さんは火葬にされますか?」

「息を引き取るまでお子さんを抱いていますか?」

これらは昨年3月20日、ホワイトソックスに所属するマックス・スタッシの新妻ギャビーさんが妊娠21週5日目で緊急で駆け込んだシカゴの病院で耳にしたものだ。

彼女は病院内で破水し「出産が早期過ぎるので、生存の見込みはほとんどありません。妊娠週数が22週に満たないため、救命活動は行いません」とも伝えられた。

今にも生まれようとする息子ジャクソン君のお産の痛みとも格闘しながら、判断を迫られた初めての出産。あるインタビューによれば医療スタッフに「日数の計算ミスということにできないか」と懇願したともあった。

ギャビーさんは、そこから4週間半、お産を少しでも遅らせようと絶対安静状態で闘った。生まれたジャクソン君も6か月以上にわたり、新生児集中治療室(以下NICU)で闘い続けた。その間、夫のマックスは野球から離れて付きっきりで家族を支えた。実際、野球どころではなかった。

臓器が未発達で生まれてしまったジャクソン君に降りかかった困難は肺炎、血液感染症、脳出血、肺虚脱、肋骨のひび、骨の病気、気道の瘢痕化など。ジャクソン君の容体は一進一退を繰り返し、人工呼吸器を外して別の呼吸療法を試そうと何度も試みたが、どれもうまくいかず気管切開でチューブを通し、気道を確保する措置も試みた。最終的に自宅へ連れて行くには、スタッシ夫婦がジャクソン君の日常的な補助を全て覚える必要があった。

「198日間なんだ。息子がNICUにいた日数は。この1年でたくさんの特別な日ができたけどハロウィーンの前日、10月30日。その日だけは絶対に一生忘れない。家に息子を連れて帰れる。人生で最高の気分だった」

多くの祈りと治療のかいあってジャクソン君は今、サクラメントの自宅で週5回のフィジカルセラピーに通いながら、しっかりと生きている。

今年2月、アリゾナ州のキャンプ地で約1年ぶりに会ったマックスに「パパ、おめでとう!」と声をかけた。彼は心からうれしそうな笑顔を向け「だいぶ大きくなったんだよ!」。約680グラムで生まれたジャクソン君が今や8キロ近くまで大きくなり「この前初めて寝返りがうてた瞬間、大喜びした」そうで、週5回のフィジカルセラピーで少しずつ動けるようになってきたことなども矢継ぎ早に話してくれた。

愛する息子の雄姿を見て「何でも乗り越えられるなと」改めて感じ、より強く野球にも没頭できるようになったという。ただ、日々の葛藤や悩みがなかったわけでもない。その真相は、また次回に――。=つづく=

☆マックス・スタッシ 1991年3月15日生まれ、33歳。右投げ右打ち。捕手。2009年のMLBドラフト4巡目(全体123位)で指名されたアスレチックスに入団。13年2月8日にアストロズ傘下マイナーへトレード移籍。13年8月20日のレンジャーズ戦でメジャー初昇格し、同日にデビュー。19年7月31日にエンゼルスへトレード移籍し、大谷ともバッテリーを組むなど正捕手の座に定着。23年12月8日にブレーブスへ、そのわずか2日後の10日にホワイトソックスへ金銭トレードで移籍した。

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