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学校で起きた小さな事件が、社会システムの欠点を暴き出す『ありふれた教室』

ニューズウィーク日本版 / 2024年5月16日 18時49分

ここでオスカーという名前を明記したのは、彼が、やがてカーラと盗難をめぐって対立する事務員クーンの息子で、鍵を握る人物になっていくからだ。カーラは数学ができるオスカーにルービックキューブを貸し、アルゴリズムについて、ある問題を解くための手順のことだと説明する。

「主張」と「証明」が意識され、対置されていく

こうして本作のドラマでは、「主張」と「証明」が意識され、対置されていく。たとえば、カーラはテスト中に、ひとりの生徒からカンニングペーパーを取り上げる。生徒は自分のものではないと主張する。だがカーラは、カンペの間違った答えがそのまま答案用紙に写されていることを指摘し、彼のものだと証明する。

カーラの隠し撮りも、そんな大きな枠組みのなかで、意味が掘り下げられる。確かに彼女の財布から金は抜き取られていたが、動画に記録されていたのは、特徴的な模様のブラウスだけだ。それでも彼女は決定的な証拠と判断し、動画は見せずにクーンを問い詰めるが、逆に追い払われる。

そんな仕打ちをされて気が収まらないカーラは、その足で校長室に駆け込み、校長自身がクーンを呼んできて、決定的な証拠であるかのように動画を見せてしまう。激高したクーンは、息子のオスカーを連れて帰宅し、電話にも出なくなる。そのときになってはじめてカーラは、対応を間違えたかもしれない、これでは証拠不十分だと思う。

それは彼女が冷静であれば、予測できただろう。この校長は、事あるごとに不寛容(ゼロ・トレランス)方式を導入していることを強調する。ならば学校側は、厳正に対処するために、手続きにおいて規則を遵守すべきところだが、冒頭に描かれる強引な調査でわかるように、生徒に密告を促したり、強制を詭弁でごまかした調査をするなど、手順を踏む気がない。言葉を変えれば、校長や彼女に従う教師には「証明」が欠けている。

その結果、盗難をめぐる問題の収拾がつかなくなり、「証明」を忘れた「主張」ばかりが激しくせめぎ合い、保護者や生徒も巻き込んだ負のスパイラルが巻き起こり、学校は混乱に陥っていく。

本作のラストは様々な解釈ができるが、少なくとも「証明」の価値が見失われていないことが希望につながる。

『ありふれた教室』
公開:5月17日(金)新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋ほか

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