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SNSにおける教養は「人を殴るための棒」...民衆に殺される時代に「ジャーナリズムの未来」はあるのか?

ニューズウィーク日本版 / 2024年6月12日 9時0分

だが、ジャーナリズムはそうではない。自分が中立である、正義であるとは信じない。自分が物知りだとすら思わない。

その代わりに、事実を積み上げる。証言者の話を地道に集め、共通項を洗い出し、信ぴょう性を検証する。利害関係のない複数の人間が、似た証言をしているのだからと、被害に真実相当性があると信じて報道する。

あるいは、インフルエンサーが心から真実だと信じ、語っている言葉であっても裏取りをし、ときには疑惑を投げかける。仕事がなくなるリスクを背負いながらも、権力者が疎外し、透明にしたがっている人々の話を聞く。

完全情報のニュースなど存在しえないが、事実を積み上げることでピースを埋めていく。それが、ジャーナリズムの善性であろう。

特に、『アステイオン』のような雑誌が生き残るならば、「教養ある人たちのユーモラスな同人誌」の枠を超えて、知的ジャーナリズムの手本たる存在となっていくしかあるまい。

当然の情報として共有されるニュースの方向性へ誠実な疑問を投げかけ、検証する。そして、少し先の未来で解決されるべき社会課題を提唱する。見過ごされてきた人たちの言葉を見つけ、マスに広める。

それが、いつSNSで石を投げられて死ぬかわからない我々が、筆を......いや、スマホを捨てられない理由である。

最後に、この前提を揺るがす小話をしたい。

少し前に、うつの薬を飲んだことがある。効果はてきめんだった。注意力が身について、仕事をテキパキ進められた。その代わり、知的に誠実でありたいとか、この世の真実を検証したいといった意欲がまったくなくなってしまった。

私にとってジャーナリスティックな態度とは知的な衝動性を必要とするもので、うつの治療薬がそれを奪ってしまったのだ。

当時は仕事を続けるために薬を捨てたが、もしかすると、ジャーナリズム的な精神を持つこと自体が、今後は病理となり、治療対象になるのかもしれない。そうなれば、ここに連ねたジャーナリズムのありようはプレッジ(宣誓)でもなんでもなく、ただの闘病日記となる。

ただひたすらプラグマチックに成長した社会において、たしかにジャーナリズムは病理そのものだ。私はペシミストでいるのが好きなものだから、それくらい破滅的な未来予想図を、ジャーナリズムにも抱いておくとしよう。

トイアンナ(Anna Toi)
1987年生まれ。慶應義塾大学卒業後、外資系企業にてマーケティングに携わり、フリーライターに転身。専門は就活対策、キャリア、婚活、マーケティングなど。著書に『改訂版 確実内定』(KADOKAWA)、『モテたいわけではないのだが』(イースト・プレス)、『ハピネスエンディング株式会社』(小学館)、『弱者男性1500万人時代』(扶桑社新書)など多数。

 『アステイオン』100号
  特集:「言論のアリーナ」としての試み──創刊100号を迎えて
  公益財団法人サントリー文化財団
  アステイオン編集委員会 編
  CCCメディアハウス

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