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元福島原発作業員、起業家、ピカチュウ姿のボランティア...戦火のウクライナで生き抜く日本人たちの実話

ニューズウィーク日本版 / 2024年6月6日 17時0分

子供たちにピカチュウの着ぐるみを着せて交流する中條さん KOSHIRO KOMINE

日本で建築関係の会社を経営し、安定した暮らしをしていた中條さんがウクライナに来たのは、幼少期の虐待によるトラウマをスポーツで乗り越えた自分の体験を、戦争で心と体に傷を負った子供たちに伝えたいという思いからだ。

まず西部ウジホロドで避難民支援をした後、支援物資を届けるキャラバンを結成してハルキウ州、ドンバス地方、ヘルソン州など前線地域を回り、22年8月には一般社団法人「ウスミシュカ(ウクライナ語で笑顔)」を設立。避難施設の運営など現地に寄り添った活動を始めた。そこでは避難先で生活するのが難しい障がい者など、社会的弱者の人々も受け入れている。

前線地域で人道支援活動を手伝ってくれているウクライナ人の学生から、「僕もピカのように人に与え続ける人になりたい」と声をかけられた。「憎しみや恨みの連鎖ではなく、恩返し、思いやりや優しさの連鎖になっていることがうれしい」と、中條さんは言う。

雇用を増やすため起業

2回目にウクライナを訪れた22年8月、東京都出身、33歳の伊藤翔さんとリビウで会った。彼とは最初に訪問した4月の時点から連絡を取り合っており、8月に飲食店をオープンするというので訪ねたのだ。

開戦当時、ジョージアに住んでいた伊藤さんは、侵攻開始4日後にはポーランドのワルシャワに行き、道路事情も分からないなか、人や物資を乗せることを想定して四輪駆動車を購入。その間、SNSで現地の情報を収集し、ワルシャワ在住でサポートを申し出てくれたジョージア人と車でウクライナへと向かった。

リビウなどでおにぎり屋や抹茶カフェなどを経営している伊藤さん(左) COURTESY OF SHO ITO

リビウで避難民のニーズを把握した後、一度ポーランドに戻り、ウクライナでは手に入らなくなった防寒具を大量に購入して再入国。ホテルを手配して子供やお年寄りを優先して滞在させ、日本への避難を希望するウクライナ人のビザ申請、保証人探し、航空券の手配、日本での滞在費の工面などをサポートした。

もともとは自己資金を使い切ったらジョージアに戻るつもりだった。しかし、多くの人と知り合い、彼らを置いて帰る気にはなれず、ただの支援ではなく雇用を増やすためにウクライナで起業することを決めた。

伊藤さんはリビウなどでおにぎり屋や抹茶カフェなど飲食店を数店舗経営しているが、多くの人たちに助けられていると感じる。新店舗でトラブルがあった時には、ポーランドにいる日本人の友人が飛んできて手伝ってくれた。「ウクライナに助けに来たつもりが、友人にいつも助けられています」と、伊藤さんは言う。

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