元福島原発作業員、起業家、ピカチュウ姿のボランティア...戦火のウクライナで生き抜く日本人たちの実話
ニューズウィーク日本版 / 2024年6月6日 17時0分
数分後に銃声が鳴りやんだ後、とにかく全員でその場をすぐに去り、配置場所の塹壕へと向かった。銃撃戦は珍しくないが、待ち伏せは初めてだった。「今にして思うと、あの状況で負傷者がゼロというのは奇跡に近い」と、富岡さんは振り返る。
23年2月に一時帰国した後、3月に再度ウクライナ入りし、第204独立領土防衛大隊の砲兵として入隊した。後方からAGS‒17(グレネードランチャー)を撃つ任務のため、いくらか危険は減った。
「これまで何度も死にかけました。一緒に戦った多くの仲間が負傷、戦死しています。その分生き残っている仲間との絆が強くなり、個人的な思いで途中でやめるわけにはいかない」と、富岡さんは言う。「兵士として戦いに来たので、雑音は気にせずにやるべきことをやるだけです」
元福島原発作業員の兵士
兵庫県神戸市出身で、23年1月にウクライナ入りした日本人義勇兵の箕作さん(仮名)は、複雑な経歴の持ち主だ。
子供の頃に阪神・淡路大震災を経験し、箕作さんの家は経済的な苦労を強いられた。高校と大学をいずれも中退し、自衛隊に入隊。退官後は法律事務所で働き、法律資格を取ってその職に従事していたが、業務上のトラブルに巻き込まれ、仕事を辞めて上京する。その後は飲食店の経営を始め、持ち家も所有。生活に不自由はなかった。
「少しでも現地の改善の力になりたい」と語る義勇兵の箕作さん KOSHIRO KOMINE
ウクライナに来たのは、ウクライナで兵士として戦っていた、20代の頃からのアゼルバイジャン人の友人に会うためだった。ジョージアを旅行した時、日本の文化に興味があり日本語を勉強していた彼と偶然会い、意気投合した。
ナゴルノ・カラバフの問題や、ロシア軍に家族や友人が多く殺された話を聞いていたので、彼がロシアに対して強い怒りを持っていることを知っていた。彼の心配だけでなく、実際に何が起きているのかを知るためにウクライナ入りし、話を聞いているうちに、ウクライナ人のために戦いたいと思うようになった。
箕作さんは東日本大震災後、福島第一原発の作業員として働いたこともある。福島には約20カ月間滞在して、福島第一原発や南相馬で除染処理の仕事をした。「少しでも現地の改善の力になりたいと思ったのです」と、箕作さんは言う。ウクライナに来たのも同じ理由からだ。
ウクライナでは歩兵として入隊できる部隊を探し、外国人兵士も多数所属しているブラザーフッド大隊(編集部注:ドンバス紛争の退役兵や戦闘未経験の兵士らで構成された部隊)に入隊した。それでも人種間のトラブルや兵士への扱い方など入隊してみないと分からないことが多く、その後は外国人義勇兵が多くいる別の部隊に入隊し直し、ドンバス地方の前線で戦っている。
<記事の続き>
連載第2回:ほっとして隣を見たら「顔が半分ない死体」が...今も「戦地ウクライナ」に残る日本人たち、それぞれの物語
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