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ほっとして隣を見たら「顔が半分ない死体」が...今も「戦地ウクライナ」に残る日本人たち、それぞれの物語

ニューズウィーク日本版 / 2024年6月6日 17時30分

千葉県出身の40代、秋山小夜香さんは22年2月にロシアの侵攻が始まった時、夫のウクライナ人男性と2人の子供と一緒に東部のロシア国境沿いの街スーミ州スーミで暮らしていた。侵攻が始まった直後は砲弾の音も聞こえたが、すぐにスーミ中心部は比較的安全な状況になり、ウクライナに残ることを決意した。

とはいえ、秋山さんは戦争が続いている状況でどうすべきか、1年間ほど悩んだ。そんな時に日本のウクライナ支援団体とつながり、スーミで貧困層のボランティアを20年続けているアンナさんという女性を紹介された。年齢も近いせいか意気投合して、少しずつボランティア活動を始めた。

既に行っているのが、クレイアニメによるアートセラビー。子供たちと一緒にクレイアニメ動画の制作を行い、戦争で傷ついた心を癒やそうとしている。整備がなかなか進まない村の幼稚園のシェルターを整備するため、所属の財団法人「Peace do it!」で資金集めも検討中。地域の人々と協力して、ボランティアの輪を広げる予定だ。

渡辺さん(写真)と田所さん(次ページで紹介)はどちらも元自衛官でジョージア軍団に所属している KOSHIRO KOMINE

安定を捨てて戦場へ

開戦後、ウクライナに渡った日本人には、日本での安定した暮らしを捨てて、あえて戦地に行くことを選んだ人が多い。24年3月にザポリッジャで取材したジョージア軍団(編集部注:ジョージア人義勇兵で構成された部隊)所属の日本人義勇兵、渡辺さん(仮名)もその1人だ。

20代後半、中部地方出身で元自衛官の渡辺さんは23年11月にウクライナ入りした。自衛隊にいた時は工兵だったが、今は歩兵としてジョージア軍団に所属している。自衛隊を除隊した後は食品会社に勤め、不安もリスクもない生活を送っていた。

「訓練経験のない人がそのまま前線に送られているというニュースを見て、経験のある自分が行くことで少しでも助けになればと思いました」と、渡辺さんは言う。「自衛隊で得た知識と訓練経験が役に立つのなら、どんなリスクがあっても問題ない」

まず日本にいる時にSNSで情報収集し、2つの部隊とビデオ面談した。1つは英語力不足で断られたが、1つは参加を認められ、23年11月にウクライナへ。しかし、その部隊は健康診断で眼鏡の使用を理由に渡辺さんを不採用にした。

ボランティアをしながら情報収集をしたが、なかなか思うような情報が得られず、キーウにあるジョージア軍団の基地に直接行き、入隊を志願した。英語で交渉して自衛隊の在籍証明書を見せるととんとん拍子に話が進み、12月には北東部の前線に派遣された。

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