ほっとして隣を見たら「顔が半分ない死体」が...今も「戦地ウクライナ」に残る日本人たち、それぞれの物語
ニューズウィーク日本版 / 2024年6月6日 17時30分
最初に前線での任務に就いた時は、それほど怖いとも思わなかった。ただ4回目ぐらいの任務で、近くにミサイルが着弾する音を聞いた時は、無意識に手が震えた。ものすごい爆発音がしてかなり揺れ、本来自分たちがいる塹壕の近くにぽっかりと1メートルくらいの穴が開いていた。
渡辺さんは家族や周囲の友達には変に心配をかけたくないので、「1年間ボランティアに行く」とだけ伝えてウクライナにやって来た。戦争が終わったら日本に帰り、自衛官の友人などに自分の経験を伝えたいと思っている。「兵士として実戦経験があるのとないのとでは、大きく違う。自分の経験を基に何が必要か、どのようなメンタリティーが求められるかを共有したい」からだ。
渡辺さんとともにジョージア軍団に所属する田所さん KOSHIRO KOMINE
「とにかく死にたくない」
渡辺さんと同じジョージア軍団で戦う田所さん(仮名)も元自衛官だ。
東北地方出身で現在20代前半の田所さんは、小学生の時に東日本大震災を体験した。地元の福島にもたくさんの自衛隊員が駆け付け、その活躍を見て自衛隊や軍への興味と憧れを抱くようになる。陸上自衛隊の普通科に入り、東北地方で2年間自衛官として勤務した。
もっと軍隊でキャリアを積みたいと、フランス外人部隊への入隊を考えるなか、ロシア軍の侵攻が長期化の兆しを見せるウクライナ行きを決心。自衛官を辞めアルバイトで資金をためた。「母子家庭で育ったため、さすがにウクライナに行くとは言えず、フランスで外人部隊に入ると伝えてためたお金の大半を渡してきました」と、田所さんは言う。ウクライナには約60万円を持って来た。
24年1月にウクライナに入り、SNSで知ったジョージア軍団のキーウ基地を直接訪ねた。直接交渉すると、既に入隊している日本人兵士のサポートを受けることを条件に入隊できた。
初めての実戦は、北東部の国境付近の塹壕で敵側を監視し、敵が来たら攻撃するという任務だった。
覚悟をしてきたが、まず思ったのは「とにかく死にたくない」ということだった。前線にいるという実感が湧かずに平然としていたら、自覚が足りないと上官にかなり怒られた。任務の前は今も不安になる。いざ配置に就くと、不安や恐怖心より、ドローンの音や些細な兆候に気を使わなくてはならないので、そのようなことを考えている暇はないが。
田所さんも、ウクライナで日本人が戦っていることに賛否があることは理解している。ロシア兵にも家族がいる。当事者ではない日本人の自分がロシア兵を殺すことは本当に正しいことなのか。ただし、前線で悩んでいる時間はない。そのためにも充分な睡眠を取り、感情をリセットすることを大事にしている。
<記事の続き>
連載第3回:ウクライナ戦場で勲章を受けた日本人「BIGBOSS」...48時間の「脱出劇」
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