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アメリカという永遠の難問...「マグマのような被害者意識」を持つアメリカと、どう関係構築すべきか

ニューズウィーク日本版 / 2024年8月5日 11時0分

翻って、今日の私たちはどうか。

「グローバルサウス」と呼ばれる南半球を中心とする新興国は、文化や芸術のみならず、政治経済でもますます存在感を発揮している。

私たちは1986年当時よりもはるかに多極化した世界を生きているにもかかわらず、いまだ、アメリカを政治・経済・外交・文化など、様々な領域でのスタンダードとする思考から抜け出せていない。多極化する世界を寿ぐ大胆さを、私たちはなぜ持てなくなってしまったのだろうか。

高坂正堯「粗野な正義観と力の時代」(1号)は、予言的ともいえる論考だ。これが書かれた1986年のフィリピンでは、大規模な反政府運動にさらされてきたフェルディナンド・マルコスの権威主義体制が最終的に崩壊し、マルコスはアメリカに亡命した。

当時、多くの人々はこれを「暴政の打倒」と歓迎した。しかし高坂は、政変の発端からその収束の過程で、様々なアメリカの関与があったことへの注意を促す。

外国による内政干渉があったことをまったく問題とせずに、フィリピンの政変を「ピープルパワー革命」と称賛することは、高坂によれば「粗野な正義観」の典型だという。

「暴君を生み出した国民を支持して暴君を倒しても、そうした国民は再び暴君を生み出す」。高坂は、J.S.ミルの『内政干渉について』の印象的な一説を引きながら、そう釘を刺す。

高坂の分析が思い起こされる政変を、2022年、私たちは目撃した。マルコスの息子ボンボンが大統領の地位に就いたのだ。それも、クーデターのような非合法的な権力奪取ではなく、選挙を通じてであり、しかも得票率は、民主化後の歴代大統領の誰よりも高かった。

この現象をどう捉えるべきか。1986年の民主化に歓喜した人たちが、今度は手のひらを返して「フィリピンは民主主義を捨てた」となじるだけであれば、それこそ、「粗野な正義観」をまったく克服できていない。今日の独裁者は選挙をあからさまに否定するのではなく、効果的に使って、あくまで「民主主義的」に権力を握り、統治の正統性をより確かにする。

「選挙独裁」とも呼ばれるこの現象は、サントリー学芸賞を受賞した東島雅昌『民主主義を装う権威主義──世界化する選挙独裁とその論理』をはじめ、近年の政治学のホットなテーマとなっている。高坂が憂えた「粗野な正義観」を克服していくための試みは着実に積み重ねられている。

『アステイオン』草創期の論者たちは、鋭い批判でアメリカを射抜くばかりではない。巷に反米感情が広がっているとき、しかもその反米感情に十分に合理的な理由があるとき、それでも日米協調の重要性を信じる者が語るべき言葉とは何か。五百旗頭真「破局からの教訓──日米への警鐘」(1号)はその模範ともいうべき論考だ。

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