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「業績」にならないのになぜ書き続けるのか?...書き手に覚悟が問われる「知的ジャーナリズム」を支える3つの条件

ニューズウィーク日本版 / 2024年8月26日 13時5分

metamorworks-shutterstock

玄田有史(東京大学社会科学研究所教授) アステイオン
<「知的ジャーナリズム」が生き残り続けるには、実践者と良識ある読者があってこそ。『アステイオン』100号より「IJ(知的ジャーナリズム)を支える3つの条件」を転載> 

三省堂『新明解国語辞典』によると、ジャーナリズムとは「①新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどの、報道や娯楽機関(の事業)。②報道や娯楽機関によって作られる、大衆的な文化」と素っ気ない(あまり新解さんの関心ではないようだ)。

それに「知的」が付くと何が違うかわからないけれど、社会や世の中についてあらためて知ることができ、「なるほどそうなのか!」と感心したり、好奇心や興奮を覚えたりできるものをいうのだろう。

いずれにせよ、知的ジャーナリズム(以下では「IJ:Intellectual Journalism」と記す)に私もこれまで随分お世話になってきた。読者としてはもちろん、執筆を依頼され、そのときどきに考えていたことを自由に書かせてもらったりもした。

若い頃の寄稿で多かったのは、若者の雇用問題やその背後にある「希望」の問題などだった。その結果、思いがけない反響をいただいたこともあった。

学術雑誌に投稿が採択されたときにも悦びはあるが、それとは異なる感覚がIJにはある。サントリー文化財団の賞ではないが、求められたのは学術よりは学芸だったと思う。

個人の関心や価値が多様化するなか、IJには論争を含め、人々の思いや考えを集めて、ともに議論する場を提供し続ける役割が少なからずある。

IJがこれからどんな議論を喚起していくべきか、具体的にはわからないが、その時代の人々の潜在的な疑問などを汲み取ったテーマを、「本当か?」といった逆張り気味に半歩先を行くくらいの感覚で提供し続けるのが肝要だろう。

バブル経済崩壊後の1990年代には若者が働くことについて、「自分らしく働きたい」とか「自分に向いた仕事が見つからない」といった、自分探しにまつわることも多かった。

それが2000年代に入り、後に就職氷河期と呼ばれるような長期不況に突入すると、「何度も面接におちまくる」「居場所が見つからない」など、経済悪化や社会的孤立が大きく影を落とす状況になった。

2000年代後半にリーマンショックが起きると派遣社員などの非正規雇用が大きな社会問題となり、2010年代になって「ブラック企業」「パワハラ」などが人口に膾炙される頃には「働くのが怖い」といった意識も強まる。

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