一般人から見れば「どちらも敵、貴族と僧侶の戦い」にしか見えない、アカデミズムとジャーナリズムの対立
ニューズウィーク日本版 / 2024年8月28日 11時0分
『アステイオン』が歩んできた38年
田所 1986年に『アステイオン』が創刊されて38年経ちました。38年とは、明治維新(1868年)から日露戦争(1904年)まで、日露戦争から太平洋戦争(1941年)まで、あるいは戦後の高度経済成長(1950年代後半)から冷戦の時代(~1989年)とほぼ同じ期間です。『アステイオン』は、その次の「ポスト冷戦時代」の38年という区切り方もできると思います。
これは世代によって見方も異なり、いろいろな切り口もあると思いますが、鷲田さんはこの38年間をどのように、とらえていらっしゃいますか?
鷲田 日本の言論界はその論点の設定において、しばしば欧米発の論考をフォローしてきましたが、今やそうした視線・視座そのものが疑われるようになりました。したがって「世界がどのような状況にあるか」という論点そのものが成立しづらくなっています。
そして『アステイオン』創刊時、日本は高度消費社会のただ中にあったため、21世紀に貧困が思想の問題になるとは、当時の私には思いもよらないことでした。
1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、これからはイデオロギーで何かを語る時代ではなくなると予想していました。しかし現在、イデオロギーですらない、むき出しの陰謀論が跋扈する世界になってしまいました。
インターネットのようなきわめて水平(フラット)な言論空間だけになると、その上には思想を監視する単一の機関があるだけで、それでは一種の独裁になってしまいます。複数の目利き、あるいは批評するメディア空間が必要で、垂直的な意味でも「中間」の存在が重要になってくるのではないでしょうか。
田所 時代を特徴づけるアプローチ自体が難しくなっているということですね。すべてがフラットになって、個人生活の隅々まで匿名の権力が支配する社会は、政治学では「大衆社会論」の文脈で議論されてきました。
アレクシ・ド・トクヴィルらが予見していた、顔のない多数派によって自由が脅かされる危険が、今現実のものとなっているのかもしれません。
都内で開催された「アステイオン・トーク」左より田所昌幸氏、トイアンナ氏、小川さやか氏、鷲田清一氏
小川 私はバブル崩壊後のいわゆる氷河期世代ですが、鷲田さんやトイアンナさんの世界観も何となく理解できます。
インターネット普及の初期には、世界がフラットになっていくようなイメージがありましたが、実情はより複雑で、多様ですよね。
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