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世界の若者を苦しめる「完璧主義後遺症」...オードリー・タンは「ジグソーパズル」にたどり着いた

ニューズウィーク日本版 / 2024年11月14日 17時10分

オードリー・タン(2023年撮影) Ints Kalnins-REUTERS

ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
<努力とは、競争心とは...。世界最高の頭脳とも称されるオードリー・タンですら悩んでいた。その生き方から一般人が学べることは実は多い>

学歴戦争の戦場で勝敗を競う中で、心を病む若者が世界中で増えている。「努力さえすれば成功できる。失敗は努力不足」と彼らは考える。

若き天才と呼ばれ、14歳で学校を辞めたオードリー・タン(唐鳳)だが、彼女もまた「教育システムから離脱したばかりのころは、まだ競争心が残っていた」と振り返る。

そんなオードリーがたどり着いたのは、「ジグソーパズル」的スタンスだった。

働き方から学び方、時間の使い方、心の整え方まで、世界最高の頭脳から人生の質を高める方法を学べる最新作『オードリー・タン 私はこう思考する』より、一部を抜粋・再編集して紹介する(本記事は第2回)。

※第1回:オードリー・タンが語る「独学と孤独」 答案を白紙で提出し、14歳で学校を辞めた天才の思考

◇ ◇ ◇

独学において大切なこととは

台湾の国民中学(台湾の義務教育の一部で、日本の中学校に相当)に入学したオードリーだが、学校教育では彼女の求める学びを十分に得ることはできなかった。しかし当時、教育部(台湾の教育文化政策を担当する官庁)はまだホームスクーリングを正式に認めていなかった。

幸運だったのは、中学2年のときの校長が進歩的な思想の持ち主だったことだ。校長はオードリーに、試験の日には必ず登校すると約束させ、それ以外の日は自宅で学ぶことを許可した。それ以降、ホームスクーリングを通じて徐々に独自の知識体系を築いていくことになる。

若き日のオードリーは、自宅から通いやすい国立政治大学で、哲学分野の講義をたびたび聴講した。

現在、台北医学大学心智意識與脳科学研究所(日本でいう人文社会科学部)の教授を務めるティモシー・ジョセフ・レーンによると、当時わずか16歳だったオードリーは、教室で大学生たちに交じって講義を聞いていても、少しも物怖じする様子はなかったという。

自分の居場所を求めて大学へ行き、哲学からインターネットに関するものまでさまざまな講義を聴講して思想的視野を広げていったオードリーは、この世界に正しい答えを知る者など誰もいない、「誰もが自分にとっての正しい答えをもっていていい」のだと深く悟った。

同時に理解したのは、「問題解決の責任を一個人に負わせない」ことの重要性だ。

能力主義によって競争心が強まった80年代

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