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2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、妻の「思いがけない反応」...一体何があったのか

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月5日 16時52分

点滴を受けるキリル。机には子供たちが描いたアゾフ大隊の絵が配られていた TAKASHI OZAKI

尾崎孝史(映像制作者、写真家)
<思いがけず捕虜生活から解放されることとなったウクライナ兵。「最愛の妻」との再会を心待ちにしていたが──>

2年半にわたりロシア軍の捕虜となっていたが、今年9月に解放されたウクライナのアゾフ兵士の1人、キリル・ザイツェバが語った過酷な捕虜生活と、彼らの帰りを待ち続けた家族たちの様子を3回に分けて紹介する。本記事は第3回。

※第1回はこちら:朝晩にロシア国歌を斉唱、残りの時間は「拷問」だった...解放されたアゾフ大隊兵が語る【捕虜生活の実態】

※第2回はこちら:捕虜の80%が性的虐待の被害に...爪に針を刺し、犬に噛みつかせるロシア軍による「地獄の拷問」

◇ ◇ ◇

難航するアゾフ兵士の解放

ドイツの首都ベルリンに着いたキリルの妻アンナは、取材で知り合った記者が紹介してくれたアパートで暮らし始めた。生後9カ月のスビャトスラフは母ラリーサの協力を得つつ育てた。

アンナがマリウポリで教師をしていた際の月給は約1万5000フリブニャ(約6万円)。その貯金を切り崩しながらの避難生活だった。

この2年半、アンナは得意の英語とフランス語を生かし、ウクライナの惨状と戦争捕虜の返還を訴えてきた。ウクライナ関連の国際会議や要人との面会のためアメリカ、カナダ、イタリア、フランス、スウェーデン、ポーランドなどに足を運んだ。

昨年の7月、アンナはキリルの居場所についてある情報を得ていた。帰還したウクライナの兵士が、「タガンログでキリルを見かけた」というメッセージをアンナに届けてくれたのだ。

「問題はロシアがウクライナの捕虜をたらい回しにしていることだ。時間がたつほど、見つけ出すのが困難になる」。アンナは兵士たちの証言からそう考えていた。

その時、キリルはタガンログから570キロ離れたカムイシンの拘置所にいた。そこには捕虜たちがチャペル(礼拝所)と呼ぶ部屋があった。3階にあり、広さ20平方メートルほどで窓は1つ。十字架はなく、壁はむき出しのコンクリートだ。

「そこは拷問部屋だった。すぐに全てが終わるよう神に祈ったから、チャペルと呼ばれた。ここでも看守はアゾフ兵士かそうでないか、区別していた。ロシア人の重罪犯がいるような所だったので、扱いはとても手荒だった」

アンナは国際会議などに足を運びウクライナの惨状と戦争捕虜の返還を訴えた(ローマ教皇との面会を伝える記事)

夏には41度、冬には氷点下32度を記録したこともある地での拘留生活。食事がコップ一杯の水だけのこともあり、身長181センチのキリルの体重は75キロから42キロに減った。心の支えは家族の存在だった。

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