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尹錫悦は「何を間違えた」のか?...お粗末すぎた大統領の自作自演クーデター計画を解説

ニューズウィーク日本版 / 2024年12月10日 13時51分

尹が不名誉な弾劾より辞任を選んでも、たぶん起訴は免れない。韓国には過去3代の大統領のうち、保守系の李明博(イ・ミョンバク)と朴槿恵(パク・クネ)を起訴し、投獄した輝かしい歴史がある。

この先がどう転ぼうと、これだけは言える。韓国の民主主義はそう簡単に負けない。40数年ぶりの戒厳令はたった6時間で、議会の投票によって解除された。一発の銃弾、一滴の血も流れなかった。一発の銃弾でも放たれていたら流れは変わっていただろう。

しかし抗議の民衆は民主主義の規範に従っていたし、軍隊に包囲された議員たちも粛々と投票した。これが民主主義。兵士たちも、その重さを感じていた。

韓国の保守勢力にとっては恥の上塗りとなった。自分たちの担いだ朴大統領を弾劾裁判で失ったのが2017年。家賃の高騰に対する国民の不満を追い風に、奇跡的に大統領府を奪還したのが2022年。そこへ今度の、自作自演のクーデター未遂。

この国の保守勢力はしょせん軍政時代の独裁者の末裔で、何かあればすぐに隠していた専制の牙をむく。そう言われても抗弁できまい。

悲しいかな、保守派の中でもそれなりに分別のある議員たちはまたしても、自分たちの担いだ大統領を弾劾するしかないのだ。

From Foreign Policy Magazine

戒厳令とクーデター続きの韓国現代史

北朝鮮との緊張関係が続く韓国では、建国直後から独裁者たちが立て続けに戒厳令を発令。共産主義の取り締まりを名目に、反対派の市民や学生を弾圧した。

1948年 韓国政府樹立からわずか2カ月後、初代大統領の李承晩が共産主義者鎮圧のため初めて戒厳令を布告。弾圧で数千人の死者が。

1950年 朝鮮戦争中の1950年から1952年まで李承晩が断続的に戒厳令を敷いた。

1960年 反政府デモの高まりに李承晩が再び戒厳令を発令。デモ参加者と警察との衝突で数百人が死亡し、李は辞任を余儀なくされた。

1961年 軍事クーデターで陸軍少将だった朴正煕が政権を掌握。戒厳令発令。63年に大統領に就任した。

1972年 朴正煕が新たなクーデターを実行し、戒厳令を発令。ソウルの街頭に戦車を配備した。72年末に戒厳令は解除されたが、朴はその後何百人もの政敵や民主活動家を投獄した。

1979年 独裁者の朴が暗殺された後、済州島を除く全土に戒厳令を布告。陸軍少将の全斗煥がクーデターで政権を掌握し、後に大統領に就任した。戒厳令は81年に解除されたが、全による軍事独裁体制が87年の民主化まで続いた。

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