ミュージカルは「なぜいきなり歌うのか?」...問いの答えは、意外にもシンプルだった
ニューズウィーク日本版 / 2025年1月9日 17時8分
また、やはりベルナールが出演したサイレント映画『椿姫』(1912)を見てみると、現実では決してすることのなさそうな大げさな演技である。しかし、それはベルナールが活躍した19世紀の観客にとってはわかりやすく、心を動かすものであったのだろう。
当時の演劇の身ぶりは、わたしたちの生活の描写ではなく、言語と同じような役割をになう指示的な記号だった。だから、動きや表情が大きくなり、定型的な表現を生みだしていく。
スタニスラフスキー流のリアリズムの時代になっても、そうした大げさな身ぶりは、欧米のコメディ映画やアニメのなかに生きのこっている。
このところ、日本では講談が大変な人気をとりもどしてきている。講談も大げさな言葉の調子やリズムによって内容と情緒を観客に伝える芸術だ。その調子をあえて日常的な会話文や抑揚で語ったら、かえって感情移入できないにちがいない。
【講談】神田伯山「寛永宮本武蔵伝より偽岸柳(第一話)」in 福岡市科学館 - 神田伯山ティービィー
講談の調子とリズムは、日常会話とは異なる抑揚で語られる。それを聞いていくうちに、わたしたちは講釈師の語る赤穂浪士やアウトローの義理人情の世界にひきこまれ、同情したり、はらはらしたりしてる。
そういう伝統芸能がうみだす感情移入は、内容もさることながら、「響き」と「調子」の力によるところが大きい。それらを聞きながら、わたしたちは一緒にそのリズムに乗ってしまう。それは人のさがというものだ。
歌舞伎や文楽、能、狂言、その他の芸能にしても、日常をおくるような口調で語る、という伝統芸能は皆無にひとしい。
それは日本の芸能にかぎらない。世界中の伝統的な芸能のほとんどは、歌舞音曲をともない、独特の言いまわしや口調、強調された演技で上演されている。ジャワの影絵や中国の京劇などを考えてみればよい。芸能とは、そういうものだったのだ。
しかし、スタニスラフスキーが構築した演技理論と、その影響を受けたいわゆるスタニスラフスキー・システムは、そうした19世紀までの演劇観をまったく変えてしまった。
いまのわたしたちが、サラ・ベルナールの演技を「わざとらしい」と思うなら、それはスタニスラフスキー・システムの影響がおおきい。
古代ギリシアからつづく2500年の西洋演劇の歴史のなかで、わずか100年ほど前に生まれた演出法が、大衆的な舞台芸術のすみずみまで支配したのだ。
舞台上の俳優がわたしたちと同じような口調と立ち居ふるまいをすることで、登場人物に共感しやすかった、というのがその理由のひとつであろう。
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