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元暴走族のリーダーが語る更生したきっかけ 少年たちに伝えたいこと

沖縄タイムス+プラス / 2024年3月25日 12時0分

 

 犯罪行為に手を染めてしまった少年たちの更生につながるものは何か。連載4回目で取り上げるのは、10代の頃に地元の暴走族のリーダーになり、少年院に入った宮城正和さん(34)。沖縄県浦添市でバイク店「バイクボックス」を営む傍ら、困窮世帯の支援を続けている。宮城さんに生い立ちから社会復帰、支援の側に回った話を聞いた。連載5回目は26日に配信予定。(社会部・比嘉海人)

 ―今の活動を教えてください。

 「バイク屋をしながら、ひとり親世帯に食料を支援したり、ネグレクト(育児放棄)が疑われる家庭の子どもたちと関わりをつくり見守り活動をしている。食料支援はコロナ禍の時に始めた。ご飯を食べられない子たちがいると知り、昔の自分と重なったからだ。10~50代のひとり親世帯を中心に県内約30カ所に、トラックで食材や生理用品などを配達した」

借金取りの取り立て 家を出た

 ―宮城さん自身の生い立ちは。

 「浦添市で生まれ、父と母、姉2人の家庭で育った。裕福な家庭だったと思う。たくさん勉強をして、将来は科学者になることを夢見ていた。だが、小学2年生の時に生活が一変した。父と祖父が経営する測量会社が別の会社を吸収する際にだまされてしまい、6億円に上る借金を抱えてしまった。それからは借金取りの取り立てが続く日々。ある時、学校から帰ってくると、母に青ざめた様子で『(家を)出るよ』と言われ、車中泊をしながら転々としたのを覚えている」

 ーどんな心境だったのでしょうか。

 「当時は小学生ながら『こんな状況でわがままは言えない。遠慮しないといけない』って親に気を遣っていたと思う。甘えていいのか分からない状態だった」

 「父は相当ストレスがたまっていたと思う。がんこ者だけど、『女性に手を出す男は死んだ方がいい』とかっこよかった父が、酒を飲むと暴れて家族に暴力を振るうようになった。特に母には『子どもの教育がなっていない』と強く当たっていた」

 ―父がいる家を出た経緯は。

 「中学生だった2番目の姉が妊娠した。父からは小6の時に姉とたばこを吸ってぼこぼこにされた。『妊娠はまずい、殺される。家を出よう』と母や姉2人と計画を立てた。僕が中1の時、父が仕事に行っている間に4人で家を抜け出した」

 「借金をして新しいアパートで母と姉たちと住み始めてからは、生活が一層苦しかった。母が夜の仕事を始め、長い時で3カ月も家に帰ってこなくなった。だが、1日に3回は借金取りが来る毎日。お父さんっ子だった上の姉がしばらくして父の家に戻った後、出産した2番目の姉は育児がままならず役所の人に子どもを預けた。食べる物がなく、中1から腹が減っては盗みをするようになった。スーパーのかごにありったけの弁当を詰めて逃げたこともある」

学校の先生も親も、大人は敵

 ―暴走行為はいつから。

 「中学に入って先輩のバイクの後ろに乗せてもらったりしていた。中3の時に地元の暴走族に入った。『めんどくさいな、こんな人生。面白くない』と思っていた。学校の先生も親も、大人は敵。唯一、ネグレクトの家庭など同じ境遇の友人といるのが楽しかった。母がいない自宅でよくたむろした」

 ー暴走族に入ってからは。

 「地元の暴走族の17代目リーダーになった後、暴走行為だけでなく検問する警察官を急襲したこともあった。検問していたらバイクで乗りつけ、パトカーを蹴ったり警察官を棒で殴りにいったり、今では考えられないことばかり。当時はやったネット掲示板の暴走ランキングで優勝して調子に乗り、どんどん過激になった。『死ぬのが怖いか? 俺は今日死んでもいい』と公言していると、暴走族の友人も『こいつ死ぬ気だ』みたいな感じでいつの間にか離れていった。他地域の過激な若者たちとつながり、行為はエスカレートして危険集団のようになった。万引、住居侵入、暴走行為を繰り返し、少なくとも留置場には4回、少年鑑別所に2回入った」

 「当時、高校に通っていた地元の同級生の話を聞くと、うらやましかった。ミス(学校内の投票ランキング)の子と付き合ったっていうような話が回ってくると、自分とは別世界、俺は普通の世界には戻れないと思っていた。こんな人生になったのも親のせい、家族のせいだと憎しみが尋常じゃなかった。『家族が後ろ指をさされて街中を歩けないくらいのことをしてやろう』と決めて、20歳の成人式で少年犯罪史に名を残そうと計画していた。そんな矢先に逮捕された。あの時、逮捕されていなかったらと思うと今でもゾッとする」

親身になってくれた警官

 ―何が転機になりましたか。

 「18歳の時が一つの転機。余罪で再逮捕を繰り返し、66日間滞在した警察の勾留施設で、敵だと思っていた警察官が自分の家庭の事情を顧みて親身になってくれた。特に、那覇署の刑事課の1人は情熱あふれる方だった。取り調べ中に目の前で涙を流しながら『苦しかったなぁ。これで最後にしてくれんか』と言ってくれた」

 「『研修で免許を取得できれば、外に出たときのために原付の免許ももらえるからがんばれよ』と熊本県にある矯正施設で大型特殊自動車の運転免許を取得する研修に行くようにパンフレットを調達してくれた。その様子を見て、『なんでこんなにしてくれるのか。めっちゃ考えてくれてるのかな』とほんの少しのうれしさと不思議な気持ちがあった。『どうでもいいって生きていくな。お前が変われば変わるんだよ』と日々声を掛けられて、『俺でも変われるのか』と小さい希望が芽生えた」

 ―少年院ではどう過ごしたのでしょうか。

 「暴走族にいた時から、時計も読めない、かけ算もできない小2レベルの学力で、今さら何してもできないという引け目があった。少年院でも引きずっていた。でも、投げ出しそうになった時に、那覇署の警察官の言葉が脳内に響いた。裏切れないよなと持ちこたえた。『変わるのもおまえ次第』。ふとした時にその言葉が思い出されて、じーんと来た」

 「警察官の方が勧めてくれた研修は院内の優等生が選ばれるので、行動を改めた上で教官に懇願して枠を勝ち取った。約3カ月半の熊本県での研修で、大型免許と建設機械の無制限資格を取得した。九州各地から来た18人ほどの代表の中で、成績1位となり、生活態度も満点だった。その成功体験が『俺でも頑張ればできるんだ』っていう達成感と喜びにつながった。教官たちから褒められて、これまで敵だと思っていた大人から認められたことが、自分にとって意味のあることだった。大人から褒められたのは、勉強で親に褒められた小2以来だった」

 ―少年院を出てから再犯しなかった。

 「20歳の時に少年院を出たら、昔つるんでいた友人や先輩が『バイク乗ろうぜ』と誘ってきた。忙しいからと断っていると、彼らの中で『あんまり遊ばないやつ』に変わっていく。前みたいにバイクに乗りたいという葛藤はあったが、関わってきた人たちを裏切れないという気持ちが強かった。自分を信じて研修に送り出してもらい、取ることができた免許を大切にしなきゃいけないなって。また暴走しようとは思わなかった。自分の心が変わったことが一番大きい」

 「あとは、地元に戻らなかったこと。再婚相手と糸満市で暮らしていた母の元で、生活を始めた。義父の家業を手伝いながら、21歳の時に水道設備の仕事をした。ショベルカーを運転して、『資格を生かせるんだ』とうれしくなった。10代の時に友人のバイクを直して食いつないだ経験もあったので、その後はバイクの仕事を始めた。23歳の時に店舗をオープンし、今の場所に移って今年で10年目になる」

第三者の大人が「気にかける」

 ―再犯しないためには何が必要でしょうか。

 「一番は自分の心が変わるきっかけがあることだと思う。僕の場合、警察官の言葉であり、少年院での生活、成功体験などだった。大人はきっかけをつくってあげて、少年たちはそのきっかけに手を伸ばしてみてほしい。少年院から出て最初の誘いを断れないと再犯してしまう。友人もそういう人たちが多かった。『不良の世界から離れる』『何があってもやらない』という決心がないと、同じ過ちを繰り返してしまうと思う」

 「地元を離れるのも効果的だと思う。同じ環境やつながりだとまた引き込まれてしまうから、過ちを起こしそうな要因を遠ざける努力が必要。覚醒剤をやった後に更生した先輩が『(薬物を)目の前に置かれたらいつの間にかやっているかもしれない。そういう場所には行かないようにするしかない』と話していた」

 「今は支援の必要な家庭の子どもたちと関わっているが、中には死にたいと打ち明ける子もいる。そういう子には『何か喜びを見つけたら人生は楽しいんだよ』と伝えている。僕が経験したように、その喜びは何かの成功体験から生まれたりする。非行をやめたいけど『同じことをしないと仲間外れにされる』と不安な子もいるかもしれない。けど大丈夫。それって小さい世界だよと伝えたい。親じゃない第三者の大人が『気にかけているよ』とメッセージを出すことは、子どもにとってとても励みになる。子どもたちが非行をせず、成功体験を積めるように、僕自身もきっかけ作りをしていきたい」
 

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