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葛飾北斎はなぜ「琉球八景」を描いた? 創作落語の筋書きは将軍との縁 藤木志ぃさーさん、作品展示中の浦添市美術館で話芸

沖縄タイムス+プラス / 2024年5月6日 6時16分

創作落語「葛飾北斎琉球八景・外伝」を披露する藤木志ぃさーさん=2日、浦添市美術館

 「うちなー噺家(はなしか)」の藤木志ぃさーさんが、江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎が「琉球八景」を描くまでを追った創作落語を2~4の3日間、沖縄県の浦添市美術館で披露した。時の将軍の徳川家斉(いえなり)が半兵衛という一庶民になりすまし、北斎に作画を頼み込むという筋書き。「分かった。この話、受けさせて頂きやしょう」と北斎が承諾した後は、会場の壁に琉球八景の画像を映しながら語った。同美術館では12日(日)まで、琉球八景を展示している。(南部報道部・平島夏実)

 北斎が琉球の景勝地を描いたのは73歳だった1832年ごろとされる。志ぃさーさんは、部屋の片付けに無頓着だった北斎が90年の生涯で93回引っ越したエピソードを紹介。「ある時、引っ越した先に紙くずが散らかっていた。何だこれはと思って見たら、元住んでいた家で、自分の絵の描き損じ。それくらい引っ越した」と笑わせた。

 当時は、琉球の使者約100人が薩摩藩の役人千人超と共に半年かけて江戸を目指す「江戸上り」が評判を呼んだ。中国風の衣装で音楽を奏で、各地に見物人があふれる「琉球ブーム」の中、半兵衛が北斎に絵を頼みに来る。聞けば、琉球使節の少年が病気になり「死ぬ前にふるさとの景色をもう一度見たい」と言っているからだという。

 少年の死に際になって、絵を5枚描き上げた北斎。同時期の作品「富嶽三十六景」のように赤富士がのぞく構図もあり、少年は「これは(私が遊んで育った)残波岬から見える伊江島タッチューですね。あぁ、なんてありがたい」などと涙して息絶える。

 「若(わけ)えのによぉ、残念なこったい。将軍さま、何のお役にも立てねぇ。申し訳ねぇ」と嘆く北斎を家斉はねぎらう。絵をあと3枚描いて「琉球八景」として売り出し、少年を供養しようと提案する。

 「琉球のためにこれだけの傑作を描けるのは、後にも先にもおめぇしかいねぇよ」。家斉の粋な計らいで観客をほろりとさせた。

 同美術館の開館時間は午前9時半から午後5時(金曜は午後7時)。琉球八景展の会期中、休館日はない。問い合わせは同美術館、電話098(879)3219。

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