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「御曹司に見初められてハイスペ婚」結果はどうなる…?平安時代もさほど変わらない『蜻蛉日記』作者の末路

OTONA SALONE / 2024年4月15日 20時0分

*TOP画像/まひろ(吉高由里子)、さわ(野村麻純)、寧子(財前直見) 大河ドラマ「光る君へ」15回(4月14日放送)より(C)NHK

 

紫式部を中心に平安の女たち、平安の男たちを描いた、大河ドラマ『光る君へ』の第15話が4月14日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

 

本放送では、まひろ(吉高由里子)とさわ(野村麻純)は『蜻蛉日記』の作者・藤原寧子(財前直見)に石山寺で出会います。この場所で、御曹司と悲喜交々の結婚生活を送った彼女が若い姫たちに伝えたこととは…。

 

御曹司に苦労させられた美しくも知的な女性。寧子の言葉「嫡妻になられませ」に込められた思いとは?

寧子(財前直見) 大河ドラマ「光る君へ」15回(4月14日放送)より(C)NHK

 

誦経中、さわは「飽きた」と声を発し、まひろが彼女のそんな姿にとまどっていると、気品ある一人の女性が「しっ!」とふたりを注意します。この女性が道綱母をモデルにした寧子です。

 

まひろは『蜻蛉日記』を幼い頃から読んでいたこと、そして幼い頃は理解できなかった部分も成長するにつれて分かるようになったことなど、この本に対する自分の思いを作者に伝えます。

 

兼家様が 何日かぶりに訪れたのに門をお開けにならず「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに 久しき ものとかは知る」()という切ないお歌を送られた意味なぞ…。今は 痛いほど分かりますけれど…。

 

まひろが上記のように話すと、寧子は「心と体は 裏腹でございますから」と応えました。

 

まひろは寧子との会話の中で、道長から妾になるよう言われたあの夜のことを思い出します。自分を一番だと言ってくれたこと、けれども北の方(正妻)にはできないということを。

 

寧子は兼家との日々を日記に綴り、公にすることで、妾の痛みを癒していたと、若いふたりに伝えます。

 

そして、「妾は つろうございますからできることなら 嫡妻になられませ」「高望みせず 嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなされ」と、自分の経験を踏まえて助言しました。

 

妾は心から愛される存在であるとはいえ、正妻との扱いの差がなかったわけではありません。例えば、産んだ子供の将来の地位にも差が出ます。(兼家のもう一人の妻・時姫が娘を入内させたとき、道綱母はもどかしい思いをしたそう)

 

そして当時、上流貴族の男性から愛されたとしても、円満な暮らしが生涯にわたり保障されるわけではありません。兼家のようにうそをついて出ていき、数日後に何事もなかったかのように戻ってくる男もいました。メールも電話もない時代ですし、女性が男性を探しに出歩くこともできませんので、女性は愛する男がどこに行ったのかも、いつ戻ってくるのかも分からず、待ち続けるしかありませんでした

 

道綱母が詠んだ和歌。兼家は用事があると出て行き、召使が尾行すると、別の女の家に入って行ったことが発覚。2~3日後、兼家は道綱母のもとに戻ってきたが、彼女は門を開けさせず、追い返した。この出来事は道綱母と兼家が子どもを授かり間もない時期の話だという。彼女の孤独感や悲しみがこの歌に読み取れる。

 

【史実解説】兼家は道綱母にメロメロ!?御曹司にコクられても一度はNOと返事した道綱母

寧子のモデルである道綱母歌人・藤原倫寧の娘。倫寧は紫式部の父・為時と同程度の階層の貴族です。彼女の本名は分からないため「道綱母」と呼ばれています。

 

中公卿の御曹司・兼家が道綱母に恋心を抱いたことで、ふたりの関係がはじまります。彼のプロポーズ方法は当時としては風変わりなものでした。通常、仲介者に頼んだり、年配の女房に手紙を渡してもらったりしますが、兼家は道綱母の父・倫寧に直接申し込みます

 

娘が御曹司からプロポーズされれば、父親であれば誰もが大喜びするはず。もちろん、倫寧は快諾しました。

 

一方、19歳前後の道綱母はプライドがすでに高かったようで、妻(時姫)がすでにおり、子ども(道隆)までいる20代半ば頃の男からの求婚に後ろ向きだったそう。

 

しかし、兼家は諦めません。馬に乗った人を使者にたて、門をたたかせて、ラブレターを送りました。この手紙を受け取った道綱母は求婚に応じました。

 

御曹司から繰り返し求婚された道綱母は実際のところどのような女性だったのでしょうね。彼から求婚された当時、見た目の美しさや賢さが評判だったという言い伝えもあります。

 

いつの時代も男は女泣かせ。「玉の輿婚」だってハッピーになれるとは限らない

兼家は道綱母に幾度もさみしい思いを度々させたようです。彼女は気分がふさぎこむと、物詣と称し、旅に出ることもありました。

 

兼家は旅先の道綱母に手紙を送ったり、迎えに行ったりして、彼女の心を自分のもとへと戻そうとします。

 

道綱母は『蜻蛉日記』で日記文学という新しいジャンルを生み出しましたが、これには兼家への抵抗が関係するという見方もあります。

 

当時、妻による私家集夫の名誉拡大を後押しするものでした。彼女が歌集を編んだとすれば、兼家の名声を高めることに協力することになりえます。このため、道綱母は日記文学をつくることで、それを拒否したという意見もあります。

 

とはいえ、『蜻蛉日記』には兼家の不遇の時代は書かれていませんし、彼の評判を落とすような記述もありません。また、彼はきらびやかな男としても描かれています。

 

道綱母は兼家の権勢拡大に直接的に協力することを仮に拒んだとしても、それでも彼を愛していたのでしょう。自分に恋心を抱いてくれて、なんだかんだ気にかけてくれる彼を愛していたはず。

 

『光る君へ』の15話における寧子の言葉「高望みせず 嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなされ」は考えさせられる台詞です。現代の日本には嫡妻・妾という考え方はありませんが、ハイスペックな相手との関係を望む女性は多くいます。

 

自分よりもスペックの高い男性と関係性を築けば、さまざまな景色を見せてもらえたり、ロマンティックな時間を過ごせたりすることもあるでしょう。しかし、他の女性の陰に不安になったり、不倫問題に悩まされたりする可能性は低くないはず。自分のことだけを見つめてくれる相手と結婚した方が心労も少なく、心穏やかに暮らせるものなのかもしれません。

 

 

参考文献

・服藤早苗「「源氏物語」の時代を生きた女性たち」

・木村朗子「紫式部と男たち」

 

≪アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗さんの他の記事をチェック!≫

 

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