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柏原芳恵、初の単独MC番組に意気軒昂 「アイドル時代はスタッフとしか話せないカゴの鳥でした。今は番組での出会いが楽しい」

NEWSポストセブン / 2024年4月19日 16時15分

番組では毎回歌唱し、時にはゲストとデュエットも。毎年コンサートやディナーショーを続け、ファンを喜ばせている (撮影/木寺紀雄)

 BORO、フィンガー5の晃、酒井法子など昭和を彩った豪華ゲストが毎回1組訪れ、トークと歌で構成される『柏原芳恵の喫茶☆歌謡界』(J:テレ[J:COM]/毎週土曜22時~)。紅茶のおいしい“喫茶店のオーナー”を務める柏原は初のレギュラー単独MC番組に意気軒昂だ。

「ゲストの方について事前に調べ、興味本位でいろいろ聞いています。『楽しかった』と笑顔で帰っていただけるとすごく嬉しいです」(柏原、以下同)

 取材日、ゲストの山田まりやがスタジオに現われると、「(政治家への不満を述べて話題になった)『朝まで生テレビ』を観ましたよ」と声を掛けて緊張を和らげた。

「初対面なので少しでも喋りやすい雰囲気を作れたらと思ったんです。まりやさんは元気で面白くて、あっという間に時間が過ぎました」

 オーディション番組『スター誕生!』でグランドチャンピオンに輝いた柏原は、1980年6月に『No.1』でデビュー。松田聖子、河合奈保子、岩崎良美など同期の中で最も年齢が低かった。

「『ヤンヤン歌うスタジオ』のコントの打ち合わせ中に少し話すくらいでした。電話番号の交換も許されなかったし、極端に言えば私語禁止でした。中学3年生で芸能界に入ったので、事務所が大事に育てようとしてくれたんですね。スタッフとしか話せないカゴの鳥でした(笑)。

 ですから、同じ大阪出身の河合奈保子さんと一緒の取材で、記者さんに『お互いなんて呼んでいるんですか』と聞かれて一瞬戸惑いました。目が合って、私が『なおなお』と言ったら、『よしよし』と返してくれました」

「『夜のヒットスタジオ』より緊張しました」

 1981年、カバー曲『ハロー・グッバイ』でスターへの階段を駆け上がった。

「アグネス・チャンさんや讃岐裕子さんが歌っていたとは知りませんでした。レコーディング日の朝に曲の資料をいただいて移動の車中で覚えて。スタジオで歌ったのは、たった3回でした」

 楽曲カバーとは縁が深い。1985年には『し・の・び・愛』もヒットさせた。

「元の『しのび逢い』(※高見知佳の1979年シングル『セザンヌの絵』のB面に収録)だとタイトルが大人っぽいので、『し・の・び・愛』を私が提案したら、作詞、作曲の高見沢俊彦さんが快諾してくださいました。数年前、ラジオの収録スタジオで偶然お会いし、ご挨拶に伺ったら、本番中なのに『番組に出てよ、出てよ』と招いていただき、嬉しかったです」

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