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年商25億円の宮崎麗果さん。1台のパソコンからスタート。 きっかけはシングルマザーになって「この子達を食べさせなくちゃ」

NEWSポストセブン / 2024年4月18日 7時15分

超セレブと言われてきたが、実は「白鳥の水かき」のような人生だった。

 36歳にして年商25億円の会社の経営者であり、4人の子供の母。インスタグラムのフォロワー数42万人超。夫は元ダンス&ボーカルグループの黒木啓司さん。高校時代にスカウトされて芸能界入りし、パリ社交界デビューも経験。

 そんな華々しいキャリアと実績を持つのに、「私の人生は挫折の連続だったんです」とおだやかな表情で話し始めた起業家の宮崎麗果さん。「宮崎さんが紹介した物は動く」と各業界からも注目され、同世代の女性達を中心に絶大な支持を得るインフルエンサーはどう生まれたのか。

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「私はコリアンクォーターなので小学校はインターナショナルスクール、12歳からは父の教育方針でアメリカのテキサスで暮らしていました」

 祖父が日本に新聞社を立ち上げ、父親はその社長を引き継ぎ参議院議員も務めた一家。両親は教育熱心だった。

「アメリカではアジア人への人種差別も経験しました。でも、高校から日本の学校に編入したときはもっとつらかった。英語が母国語のようなものだったので日本語がわからず、周囲となじめなくて部活や学校行事にも参加できずに、ひとり勉強するしかありませんでした」

 物心ついた時から家庭では、世界情勢について広く知り、考えるよう習慣づけられていたという。

「夕食の時に、環境や戦争など人類が抱える問題について、家族でディベートするんですよ。私負けず嫌いな性格なんですね、苦にはならないどころか、子供ながらに楽しかったし、そんな経験はいまも役立っています」

 人と関わる中では苦しい思いをすることもあったが、勉強は努力を重ねれば結果が出る。帰国後、16歳でスカウトされて芸能の仕事を始めてみると、日本語が不得手なことも個性として認めてもらえて、「居場所ができた」とホッとしたという。

 しかしその後、さらに怒涛の人生が続く。10代から20代は不安定な人間関係や恋愛パターンを繰り返し、第3子を妊娠中の30歳の時に2回目の離婚。

 しかも、出産までの経過は順調とはいえなかった。「この子は無事に産まれないかもしれません」と医師に宣告され入院。死産の恐怖に怯えながら、診察で心音を聞いてはなんとかホッとする日々だった。

「手に職もなければ職歴もない、何もできないシングルマザーの妊婦になってしまったんです。それまで私の人生は、学校から逃げ、芸能の仕事もパッとしないまま結婚に逃げ、結婚からも逃げ、自分と向き合うことからも“逃げっぱなし”の人生だったんです。

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