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北方謙三氏『黄昏のために』インタビュー「その場面で選ぶべき1つしかない言葉を選ぶことが小説を書く行為の根源にある」

NEWSポストセブン / 2024年6月23日 7時15分

 そうした葛藤を知ってか知らずか、20年来の付き合いになる画商の〈吉野〉は定期的に自宅兼アトリエを訪れて絵を持ってゆくが、彼が弄する理屈や口上より数字にしか私の興味はない。

 他にもここには家事代行業の女性が交代制で訪れ、モデル達の出入りもあるが、基本は独り。また、趣味で油絵をやっている友人〈村澤〉や若い女性と再婚した〈玉置〉、その結婚パーティで出会った〈蹠から、血を流しているような女〉や、私が定期的に落葉を集めにゆくペンションの経営者で古い友人の〈脇坂〉など、どの関係も縁があるようでないような淡白さなのだ。

 そんな私は〈色〉に唯一執着し、森で落葉を蒐集し、これはと思う色を貪欲に追求したかと思うと、庭のバラを切り、28通りの角度からデッサン。それらを1枚の静物画に再構成し、〈一本〉と名付けてほくそ笑んだり、肉屋で注文した頭骨を土に埋め、〈野晒しの骨〉の中に死を見出したりする、表現の鬼でもあった。

〈仮託せずには、描けない。死は、生きている人間にとって、観念でしかないのだ〉〈なにかが、見えたような気がした〉〈私の心か躰のどこかにある、穴〉〈一瞬だけ鮮やかに感じたものは、すでに曖昧になっていた〉〈こんなものか〉〈こんなものだ〉

出会っただけで理由になるから

「落葉の色を蒐集する話やデッサンや骨の話も、全部私の創作、アイデアです。画家の場合、技術は磨けても、色だけは持って生まれた感性から逃れられない。だからこそ彼は色に拘り、それはつまり自分は天才かどうか、問いかけてるってことなんだけど、そもそもその色自体が不確かなものなんですよ。小説を言葉で説明できないように、その絵画や色に説明は必要なく、できるはずもないんです」

〈描くことは、生きること〉と帯にある本書の今一つの見所が食の描写だ。画家崩れの主が営む海辺の食堂で唯一美味かった鯒の造りや、時々寄る和食屋や洋食屋やスナックの端正で気取らない味やサービス。さらには私が作品を描き終えた後に焼き、無心に食らう肉の、何と官能的なこと!

「私の場合は料理も表現の1つだと思って取り組んでいますけど、彼は違う。生きるために食ってるんです。全身全霊で絵を描くだろ。すると体はカラカラになり、欲求の赴くまま400gの肉をガツ、ガツ、ガツッて彼は食うわけだけど、体は消化できなくて、ゲーゲー吐きだすわけ。

 つまり絵を描くのも肉を食うのも主人公にとっては生きることで、彼は何だかんだ言いつつ、生きることにまだ貪欲たり得ている。彼の設定を50代にしたのも、私の想像力が今50代くらいだからで、次の長編も15巻くらいにはなるだろうし、70を過ぎると年齢の感覚や暮れるという認識も意外とないものなんです」

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